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あの日あのころ 第417回

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栃木県真岡市


私は昭和12年、東沼で生まれ、6人きょうだいの次男として育ちました。きょうだいが多く、家族はいつもにぎやかだったのを覚えています。
家は代々農家だったので、中学卒業後、真岡農業高校(現・真岡北陵高校)へ進学し、興味があった畜産を専攻。牛・豚・鶏の飼養管理について学びました。また高校時代の思い出と言えば、台町の踏切近くにあったヌマニウラジオでのアルバイトですね。バイト代を貯めて、秋葉原へラジオの部品や専門誌を買いに行くのが楽しみで、購入した部品で夢中になってラジオを作っていました。ものづくりの面白さを知ったのもちょうどその頃でしたね。
高校卒業後は家を継ぎ、米と麦の二毛作を行い一年中農業に専念していました。本から知識を得ることが好きで、稲作についての専門誌を買い、新しい技術を実践したり、近所の人たちと勉強会開いたりしながら研究を重ねていました。その後結婚し、時代とともに米づくりを専門に行うようになり、農閑期の冬場は市内の建築現場で働いていました。ある時、職人の見よう見まねで始めた溶接作業がとても楽しく、作業をするうちに専門的に学びたいと思い、労働省職業訓練局の通信教育を受けました。学んだ知識は、仕事はもちろん私生活では趣味となり、自宅の敷地内に物置小屋を作ったり、時には親戚の家を修理することもありました。
現在も建築への探求心は強く、建物の外壁に塗る材料で浮き出る絵を描く「こて絵」を楽しんでいます。時々、県外から自宅のこて絵を見に来る人もいて、そうした人たちとの交流も楽しいですね。また、家の畑では果物や野菜を育てており、食べてくれた人の笑顔を見るのも楽しみの一つです。これからも「つくる」ことを楽しみながら過ごしたいと思います。

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