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文化財コラム 西原の学校のはじまり

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沖縄県西原町

四月になりました。各学校では、入学式や始業式が行われ、新しい学校生活が始まります。さて、西原で初めてできた学校ってどこでしょうか。
西原で初めて学校の開校について記録が出てくるのは、明治十五(一八八二)年です。現在の西原の塔周辺にあった、当時の西原間切の番所(今でいう役場)内の一部を使って、「西原小学校」が設立されました。この時の児童数は多い時で四四人でした。児童は吏員(りいん)(公務員)や裕福な家の子供で、年齢は十二歳から二十歳まで在籍していた記録が残っています。服装は着物で、給食はなく、イモを芭蕉(ばしょう)の葉に包んで持って行ったようです。明治二一(一八八八)年に、「西原尋常(じんじょう)小学校」と改称し、児童数は増えていきます。しかし、明治の頃は弟や妹の子守のために学校を休まされたり、馬の草刈りやイモ洗いなど勉強よりも家の仕事が優先させられる家庭も多かったようです。その後、学校の校舎新築・移転を行い、住民の教育への意識も向上していきました。昭和一六(一九四一)年には、「西原国民学校」(字翁長/現在の西原中学校周辺)へ改称し、児童数二、〇六四人という大規模校となっていきました。
しかし、昭和二〇(一九四五)年、沖縄戦により、校舎は破壊され、教育の場も奪(うば)われてしまいます。
昭和二一(一九四六)年六月、西原に戻ってきた住民の情熱と努力により教育の場が再興(さいこう)され、現在の西原小学校の敷地(しきち)に学区別で西原東初等学校と西原西初等学校を開校しました。同じ敷地(しきち)での二校開校は、戦後の西原には立ち入り制限区域があったためで、制限が解かれるとすぐに、西原西初等学校は字翁長の坂田升(はんたまし)に移転し、その後、坂田小学校と改称していきます。西原東初等学校は同敷地(しきち)にて、西原小学校と改称していき、現在に至っています。このように、西原で学校が始まったのは明治時代で、その後、多くの苦難を乗り越え、体制が整えられてきました。今、当然のようにある学校ですが、是非、その歴史に思いを馳(は)せてみませんか。

参考文献:西原小学校創立百周年記念誌編集部編『西原小学校創立百周年記念誌』、西原町教育委員会『西原町史』第一巻「通史編II」、比嘉徳著『中頭郡誌』(復刻版)

お問い合わせ:文化課 文化財係
【電話】944-4998

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