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写真でたどる ふるさと再発見 No.50

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滋賀県甲良町

【洗多苦(せんたく)からの解放】
遠い昔から洗濯は女性の仕事とされていました。
かつての洗濯は「たらい」に水や湯をはって、洗濯板で洗い洗濯物を物干竿にかけて乾かしました。洗濯板にはカーブを描いたくぼみがあり、そこに石鹸水がたまり、汚れを落としました。洗濯板を使えば、手もみ洗いや踏み洗いをするよりもはるかに早く、きれいに仕上がりました。また、時には「洗い張り(板張り)」と言って、着物や布団をほどいて布に戻し、洗った後、糊をつけて張板(長さ約180cm幅約45cm)に張って乾かしました。
しかし、女性にとって洗濯は労力と時間がかかる大変な作業でした。ある統計によると当時の洗濯は、一回に所要およそ2時間程度とあります。水場にしゃがみ込み、手を水につけ力を入れて洗わなければならず、特に冬場には冷たい水であかぎれが絶えませんでした。まさしく「洗多苦」だったのです。
洗濯という重労働から女性を解放したのが電気洗濯機でした。
昭和30年代(1955)から高度経済成長期を迎え、テレビ、電気冷蔵庫等「三種の神器」と呼ばれる家電が次々に発売されていきました。なかでも女性にとってぜひ欲しいものが電気洗濯機でした。
当時の洗濯機の広告に「主婦の読書時間はどうしてつくるか」というものがあります。洗濯の他に炊事、裁縫、掃除、子育て、農作業等、女性は本を読む暇もないほど働き続けていたからです。
水道の普及や所得の向上、大量生産による価格の低下により、電気洗濯機の普及率は10年間に10%から80%へと上昇、急速に各家庭に購入されていきました。
まず流行したのは一槽式脱水機付洗濯機でした。洗い終わったら、2本のローラーの間に洗濯物を通し、手でハンドルを回してしぼりました。ローラーの幅が狭いので洗濯物を沢山いれると回りません、シャツなどはローラーの長さに合わせてたたんで回したりしていました。
その後、洗濯槽と遠心力を利用した脱水槽を備えた二槽式洗濯機が登場しました。このような洗濯機の進化に伴い、人びとの意識は「汚れたら洗う」から「着たら洗う」に変わりました。
電気洗濯機の普及によって、たくさんの洗濯物を短時間で洗えるようになり女性(主婦)の生活は根本的に変わりました。自由時間が生まれたことで女性も余暇を楽しむことができるようになり、社会参加を大いに助けることにもなりました。まさに、電気洗濯機は「洗多苦」から女性を解放するものとなったのでした。
参考文献:電気洗濯機100年の歴史、電気洗濯機の技術史、昔の道具百科、昔の道具1、昔のくらしの道具事典、昭和三十年代湖国暮らしの表情、パナソニック社史
協力:能登川博物館、ノセデン

問合先:ふるさとプロジェクト(図書館)
【電話】38-8088【FAX】38-8089

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