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第112回 温故知新~うと学だより~

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熊本県宇土市

■宇土半島の地形と成り立ち

宇土市域の多くを含む宇土半島。宇土市民にとって正に地元ですが、その地形的な特徴や成り立ちについて、詳しい人は意外と少ないのではないでしょうか。今回は、宇土半島そのものについて、主に地形・地質の観点から紹介します。

▼地形の概要と土地利用
宇土半島は、北の有明海と南の八代海(不知火海)とを隔てるように、東西に細長くのびる半島です。規模は東西24.8km、南北7.6kmを測ります。全体として地形は険しく、特に半島北側では、網田平野など一部を除いてまとまった平野が無く、丘陵から急激に海に落ち込む崖地形が多くを占めます。一方、半島南側では、数多くの岬が海に突き出し、その間の入江に小さな平野が点在します。こうした違いから、古来、人の往来は半島南側から中央の山間部が中心で、現在のJR三角線や国道57号線のように、半島北側を多くの人が往来するようになったのは明治以降です。

▼地質学的特徴
宇土半島でみられる最も古い地層は、約7000万年前、中生代後期白亜紀の「姫浦層群(ひめうらそうぐん)」と呼ばれる地層です。これは天草諸島や鹿児島県甑島など、九州西部に広く分布する地層で、頁岩と砂岩が交互に堆積する互層をなし、アンモナイトなどの化石を産出する、海底堆積物から成る地層です。木原山(雁回山)や下網田町などでみることができます。
宇土半島の大部分を構成する、主峰・大岳(おおたけ)(標高477m)を中心とする山々は、新生代第三紀と第四紀の間頃の火山活動でできたと考えられます。年代で言えば、今から約200万年前のことです。半島内の広範囲を、この大岳火山から噴出した輝石安山岩(きせきあんざんがん)が覆い、「宇土山の石」として古くから採掘・利用されてきました。
なお、宇土半島で採れる石と言えば、網津町周辺で採れる馬門石(まかどいし)(通称・阿蘇ピンク石)も有名ですが、これは約9万年前の阿蘇の噴火でできた溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)です。年代の違いを示すように、大岳由来の安山岩でできた旧地形の上に、その谷間を埋めるように凝灰岩が形成されています。
宇土半島の付け根から北側の熊本平野へとつながる低地部は、緑川・浜戸川・潤(うろご)川などが運んだ土砂の堆積から成る沖積平野です。約1万年前以降の完新世に形成された地形で、特に6000年前頃をピークとするいわゆる縄文海進の頃には海に没していたとみられ、当時の海底に堆積した粒子の細かい泥(浮泥(ふでい))により、有明粘土層と呼ばれる厚い粘土層が形成されています。

▼布田川断層帯について
平成28年4月の熊本地震を引き起こした布田川断層帯。その延長が「宇土区間」「宇土半島北岸区間」などとして宇土半島まで及ぶことを、恐らく熊本地震が起こるまで、多くの人が知らなかったのではないでしょうか。それもそのはずで、これらの区間は平成22年までに複数回行われた調査の成果を基に、国の地震調査研究推進本部が平成25年に「新たに推定する」と発表したものです。
熊本地震で宇土付近の断層は動いていないとされますが、国の予想によれば、今後、これらの断層でマグニチュード7.0〜7.2程度の地震が発生する可能性が指摘されています。宇土半島北岸の切り立った崖が、こうした地殻変動を繰り返して形成されたとすれば、その変動の壮大さに感動すら覚えます。

▼参考文献
・『新宇土市史』通史編1
・『宇土の今昔百ものがたり』
・「布田川断層帯・日奈久断層帯」地震調査研究推進本部HP

問い合わせ:文化課 文化係
【電話】23-0156

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