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自治体の皆さまへ

挑戦し続ける人で在りたい

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熊本県宇土市

■Profile
うえだ・めい
平成10年生まれ25歳。緑川地区出身。
緑川保育園、緑川小学校、住吉中学校を経て大津高校へ。小・中・高は部活でバスケットボール部のキャプテンを務める。趣味はスポーツ観戦で、兄である直通さん(鹿島アントラーズ)の試合は欠かさず応援している。大事にしている言葉は「すべての人やすべての瞬間に愛と感謝を持って」

■ミス・インターナショナルとは
「ミス・インターナショナルビューティ・ページェント」(ミス・インターナショナル)は、ミス・ワールド、ミス・ユニバースと並ぶ世界3大ビューティ・ページェントの1つで、1960年に誕生。今大会で61回目を迎える。美しさはもちろん、国際親善や世界平和など、国際社会に貢献しようとする志の高い女性たちが「美と平和の親善大使」として集い、互いに交流を深めることを目的としている。

「先生、モデルになったらいいのに」「いや〜、私には無理だよ」植田明依さんは、熊本市内の高校で家庭科の教師をしている。生徒からの何気ない提案をすぐに否定してしまった。後になってその言葉を後悔した。生徒たちが意志を持って目標を立てて一生懸命進んでいるのに、それを教える立場の私が、自分の限界に蓋をしてしまった。そんな状況は良くない。変わりたい。そう思っていた時に昨年開催されたミス・クマモトへの出場の誘いがあった。これはチャンスだと思い挑戦することを決意した。ミス・クマモトでは、ビューティーキャンプなどを経てグランプリに輝いた。そして今年、2024ミス・インターナショナル日本代表選出大会に挑戦し、見事日本代表を勝ち取った。
「今回の挑戦だけでも多くの人に支えられたと感じています。支えてくれた人たちに喜んでもらいたいし、周りの人たちが喜んでくれるのが私の一番の喜びです。大会に挑戦し、グランプリを受賞することができたのも周りの方々のおかげです。」日本大会で着たドレスや靴は祖母や父が加工してくれた。さらに、ドレスを一緒に見に行ったり、一番近くでサポートしてくれたのは姉と母。落ち込みそうな時は友達が声をかけてくれた。さらに生徒たちからは「先生の挑戦を見て、頑張る元気をもらいました。」など嬉しい言葉をかけられたという。
植田さんの家族は、お互いを思いやる仲の良い家族だ。植田さんが小学生の頃にお姉さんが大きな病気になったことをきっかけに、より家族の結束が固まったという。「家族全員が、今しかない時間を一生懸命生きよう。次はないかもしれない。という意識を持ち、その瞬間を大事にするようになりました。」その経験から今はお姉さんと共に骨髄バンクのドナー登録説明員をしている植田さん。「姉は父から骨髄をもらって助かりました。姉のように病気と闘う人たちに少しでも移植のチャンスを作れればと思っています。骨髄は家族でも適合しない場合が多いので、できるだけ多くの人に登録していただきたいです。」と話す。
次々と挑戦を続ける植田さんだが、自分の夢を口に出せない時期もあったという。「実は、私はもともとモデルをやってみたいという思いがありました。メディア関係でいろんな人の目につくような仕事、そして勇気を与える仕事に就きたいなとは思っていたのですが、周りの反応を気にして口に出せずにいました。」家族にも言わず内に秘めていた。「ありがたいことに、憧れの教職に就くことができたのに、それを辞めて夢を追いかける勇気は無かったですね。」
教師とミスコンという対極にも思える2つをどちらも諦めず追い求め、見事両立を叶えた植田さん。「どんな環境でも意志を持って挑戦することで、夢は叶うということを多くの人に伝えることができたらいいなと思っています。」と話す。さらに、植田さんは夢や目標を叶えるためには口に出して公言することが大事だと話す。「今回の大会に参加して、目標を口に出して公言していくことで、おのずと周りが協力してくれたり、挑戦する機会を得ることができました。」ミスコンへの参加もそうやって巡ってきたものだろう。
「夢を口に出すことは勇気がいることだと思います。周りの目も気になると思うけど、その人が一生懸命やってる姿を見たら周りは絶対応援してくれると思うので、しっかりと大きく広く伝えていくことで夢が叶っていくと思います。」
これからも明依さんの挑戦は続く。

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