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祝!通潤橋『国宝』指定

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熊本県山都町

令和5年9月25日、ついに通潤橋が国宝に指定されました。
国宝は、重要文化財(有形文化財(建造物))のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いものが指定され、文化財保護法では「たぐいない国民の宝」と規定されています。

■基本情報
[起工]嘉永5年(1852)12月
[竣工]嘉永7年(1854)8月晦日 ※通潤用水は安政2年(1855)にほぼ完成
[規模]橋長:約78m、橋高:約21.3m、橋幅:約6.6m
径間(アーチ径):15間3尺(約28.1m) 吹上樋(通水管)延長:約119m

■国宝の価値
(1)他には例がない、独創的な構造(江戸時代の水利土木施設の到達形態)
通潤橋は、最大級の径間をもつアーチ橋と、橋より高い台地へ用水を送る吹上樋(ふきあげどい)(取入口と吹上口の高低差を利用して白糸台地へ用水を吹き上げる通水管)を融合させた独創的な構造です。これは、白糸台地の起点部のより高い位置に用水を送るために施された工夫の証です。また、通潤橋の場合は、数度の実験を経て水勢や水圧への耐久性を高めるため全て石造とし、メンンナンスにも適した通水管が開発されました。

(2)技術的完成が高く、近世(江戸時代)の石橋の傑作
重量のある通水管を支える丈夫な橋を築くため、熊本城の“武者返し”と同様の反(そ)りをもつ石垣(鞘石垣(さやいしがき))を取り入れ高度に再現しているほか、石垣の中詰めも全て割石(わりいし)を積み上げる構造(裏築(うらつき))となっています。「通潤橋仕法書(しほうしょ)」などの史料には、釣石(つりいし)(上流・下流双方の壁石をダボを用いて内部で連結させる工法)の記録もあり、完成度の高い様々な技術が駆使されています。

(3)九州で発展した石橋文化の象徴
石造アーチ橋は1600年代に長崎に伝来し、江戸時代後期には熊本藩領を中心に数多くの建設が進み、技術も発展しました。また、矢部手永(てなが)(地域行政組織)が主導した通潤橋・通潤用水建設は、江戸時代後期の地域社会による公共事業の代表例でもあります。

(4)事業関係者や建設過程等を証する関連資料が豊富(附(つけたり)指定)
通潤橋の国宝指定に合わせて、次の関連する資料が附(つけたり)として指定になりました。

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