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湯前歴史散歩 下里御大師堂の墨書を読む(3)

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熊本県湯前町

今回は墨書に記されていた主な人々を紹介します。

(1)米良覚左衛門
「ぬり古町ノ米良覚左衛門」と書かれた墨書があり、塗りを担当していたことが分かります。別の墨書には「ゆのまへ米良覚左衛門」とも記しているので、湯前の古町の人だったことが分かります。
古町は御大師堂のある後原の北東に隣接する地名で、現在も古町橋にその名を留めています。御大師堂の建築に近所からも参加していたことが分かります。

(2)奈須又左衛門
「下里御大師堂の墨書を読む(1)」で紹介した和歌の墨書などに名前が見られます。右田茂兵衛とともに恋文のような落書きも残しています。中には「天下一 又左衛門より」と記したものも。腕に自信があったのかもしれません。

(3)岩野 無右衛門
「岩野 無右衛門 天上ぬり也」という墨書があり、岩野という苗字なのか、地名の岩野かはっきりしませんが、天井の塗りを担当しています。

■文化6年の修理の関係者
御大師堂では、江戸時代後期の文化6(1809)年に向拝(こうはい)の修理をしたことが墨書から推測されます。同
じ墨書には「那須」「財部」「椎葉」「黒木」など、今でも本町で見られる苗字が名を連ねています。
墨書に書き連ねられた人たちは、人吉藩に多く存在した「郷士(ごうし)」と呼ばれる人たちだったと思われます。郷士は武士と農民の中間の身分で、普段は農業をしながらも、苗字・帯刀を許されていました。
向拝の修理には、ほかにも大工として東方の善右衛門という人物が携わっていたことも分かりました。
多くの墨書から、御大師堂が地元の人たちに守られてきたことを知ることができます。

教育課学芸員 松村祥志(しょうじ)

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