■熊本で戦った乃木希典(まれすけ)
乃木希典は明治期に活躍した山口県出身の陸軍軍人です。明治37年(1904年)に勃発した日露戦争の旅順攻囲戦において活躍し、敵軍にも敬意を示した逸話が残るなど、その名は外国にも知れ渡っていたほどです。
乃木は明治10年(1877年)の西南戦争で、官軍側の少佐として参加し、植木町や玉東町においては厳しい戦いを強いられることとなりました。木葉の戦いでは、稲佐付近で落馬し、部下が身を挺して助けたとされています。その後乃木らは木葉川を渡り、現在の玉名市寺田へ退避して隊を集結させています。この後も乃木は戦闘に参加し、負傷しつつも田原坂の戦いの終結、熊本城の入城にかかわります。この時の逸話から、稲佐熊野座神社から南には「乃木第十四聯隊長奮戦阯(のぎだいじゅうよんれんたいちょうふんせんのあと)」という石碑が建てられています。
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