■近現代の人々と牛馬
かつて玉東町内の多くの農村では、牛馬が飼育され、農作業に使われていました。明治34年の時点で馬は牛よりも圧倒的に多く飼育されており、山北村では馬が538頭、牛が51頭と、10倍以上の差がありました。馬は荷馬車などの運搬の役割を担っていました。
馬は毎日運動させなければならず、手入れが大変といわれています。戦時中は多くの男が出征して働き手が少なくなったこともあって、次第に馬は飼われなくなり、より飼いやすく繁殖しやすいとされている牛が急激に多く使役されるようになりました。
玉東町内には牛馬守護の神様である若宮様が祭られたほこらが各所にあります。特に二俣にあるほこらでは、牛や馬を飼う家が少なくなった今でも、関係者たちによって毎年1月6日におはらいが行われています。
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