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まちかど a street corner(228)

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石川県津幡町

■町内「地区道をゆく」シリーズ中条地区
中条地区ほど津幡町内で変貌を遂げた地区を見ない。旧北国街道に面して条件が良い所で、鉄道、駅、さらに国道の分岐と新設、新市街地の形成と施設の移転である。一方で、旧街道沿いの家並の佇まいは時間の蓄積を物語る。中条公民館の吉田明館長に歴史遺産の数々を伺った。源平合戦時に平維盛軍が通ったと伝えられている。三輪神社付近では、源氏武者の宿というか、一時的な住まいの跡も見られる。江戸時代には、この街道は整備されて参勤交代もここを通っていた。
昔のことをイメージするには、今の状態を一度消してからでないといけない。鉄道やバイパスなどがない状態では、中条地区の道の構造は南北の北国街道に三輪神社と八幡神社などの参道の枝道が分岐していた。結果として鉄道、道路は地区を東西で分断した形である。街道と潟に向けて集落が張り付いている。潟を利用した水運もあり、また森本川からの河原市用水も導水されており、中条地区はライフラインとモビリティを束ねる動線が集中した喉元に当たる。津幡駅がこの地に設置されたのも、中条村の大地主である庭田次平氏の土地の提供などの尽力によるとされ、駅前に顕彰碑が建つ。明治31年、七尾鉄道として七尾港・本津幡駅間が開通したが、津幡・本津幡駅間の鉄道がつながれない時期もあり、鉄道や駅の設置には地元の同意や熱意に頼ることが大きいことが分かる。当初、鉄道の利便性を確保するよりも、駅は市街地から離れたところに建てられるケースが多かった。津幡も例外ではないが、幸い七尾線が市街地を外周する形に引かれた。開通した当時の津幡・金沢駅間は20分というので、現在のIR鉄道の同区間は平均12~13分で、差が10分もない。昔の人は足が速いとはいえ、徒歩や馬車による交通手段と比較しても、日に何往復もできる鉄道は時間短縮では圧倒的である。当然、駅前には来訪者や地区住民に向けての商店が並ぶようになり、ターミナルとしての役割を大いに果たしている。
地区公民館の場所は旧中条村役場から、その後小学校、そして公民館と変遷する。庭や建物にほかの公民館と違う趣を感じる。

▽谷本亙(たにもとわたる)
津幡町潟端在住。まち&むら研究所代表。
伝統工芸品、日本酒、農産物及び加工品開発、観光調査などに関わる。
現在、各種事業支援活動を中心に、農企業の役員、医療関係のNPO法人などの役員を務めている。

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