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まちかど a street corner(233)

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石川県津幡町

■亡くなられた方々を思い出す終戦記念日
8月は広島、長崎の原爆投下、15日は78回目の終戦記念日。
身近な話だが、母は昭和16年3月に河合谷の小学校を卒業、富山市の当時軍需工場の「F鋼材工業」で働き、寮生活を送っていた。昭和20年8月2日未明、アメリカはB29型爆撃機174機を出撃させ、50万発以上もの焼夷弾を落とし、市街のほとんどが消失、死者は2700人を超えた「富山大空襲」。母は7月末に食料の確保でたまたま実家に帰省していて難を逃れた。異様な飛行機の爆音に気付き、実家から見た山の向こうの夜空は、真っ赤に染まり恐ろしかったことと、職場に戻ると同僚らが犠牲になったことを知り、とても辛く悲しかったと話してくれた。母のアルバムには寮内でくつろぐ様子や、応召記念などの写真があり、当時の雰囲気が読みとれた。
羽咋市出身の坂本俊文氏(令和3年79歳で死去)は母校羽咋高校のOBで、中部太平洋マーシャル諸島・ミレー島で約40年にわたり戦没者の慰霊や遺骨収集に取り組み、国の協力もあったがほぼ自費で慰霊団を組織し、平成23年に活動を終えるまで遺骨101柱を日本に持ち帰った方である。同島には金沢の歩兵約1000人も加わり、総勢で約5700人が駐留、そのうち約3100人が戦火に倒れ、県人も756人を数え、守備隊中隊長の坂本幹夫氏(俊文氏の父上)も、昭和19年3月に艦砲射撃などにより若干27歳で戦死された。以前、同校の同窓会で「慰霊行」などの講演や、平成17年9月「戦後60年のミレー島」の新聞記事が掲載され、鎮魂の思いと語り継いでいきたいとの思いを心の中で温めていた。機会が巡り、平成26年2月に私が会員の「異人種交流会」の例会に講師でお招きし、「あまりにも遠い父たちの島~補給途絶え、飢餓と戦った郷土部隊~」の講演と、現地で収集した銃の薬きょう、変形した飯盒なども展示し、説明に聞き入った。
悲惨な歴史が繰り返され、現在もロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって550日を超えた。
一日でも早く平和が戻ることを切に願う。

▽金田信市(かねだしんいち)
津幡町横浜在住。平成25年より津幡地区民生児童委員。同26年に「金沢城・兼六園研究会」の会員。同27年から町内の小学校などで紙芝居「禁酒物語」を上演する「禁酒の学校を語り継ぐ会」、令和4年4月「つばたふるさと探偵団」のメンバーにも。
大の映画ファンで、毎年約50本を映画館で鑑賞する。

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