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【特集】スポーツ いいね!(4)

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神奈川県厚木市

【夢を追いかけて・1】

技術や体力などを磨き、競い合うスポーツ選手。その姿は私たちに感動や勇気を与えてくれます。大きな舞台で活躍・挑戦する市内出身のアスリートたちに競技への思いを聞きました。

■市民の声「voice」
普段運動している皆さんに聞いたスポーツの魅力
・できないことができるようになったときの達成感があること(20代男性)
・チームスポーツはみんなで目標を決めて力を高め合える。個人でも自分の成長を感じられ、自信がつく(10代女性)

■憧れていた輪の中で
アルペンスキー選手
田中 佳子さん(48)
プロフィル:1975年生まれ。相川小・東名中学校・厚木商業高校出身。トリノ五輪から3大会連続でパラリンピックに出場。北京五輪ではスーパー複合(座位)4位他に入賞。2022年厚木市民功労表彰受賞。

「建物がきれいになってますね。私が通ってた頃と全然違う」「5年前建て替えたんだよ、ここに来るのは久しぶりだね」。話に花を咲かせるのは、アルペンスキー選手の田中佳子さんと、チェアスキーを開発した神奈川県総合リハビリテーションセンターの沖川さん。田中さんはここでチェアスキーと出合い、パラリンピックに4度出場。2022年の北京パラリンピック冬季競技大会では、自己最高のスーパー複合(座位)4位に入賞しました。

▽夢をかなえたチェアスキー
田中さんがチェアスキーと出合ったのは22歳の時。生まれ持った病気の影響で幼い頃に両足の膝から下を切断し、義足の調整のため七沢の神奈川リハビリに通院していました。診察中、専門学校のスキー教室に行けなかったことを話すと、義肢装具士が院内の工学室で開発したチェアスキーを見せてくれました。
こんなものがあるのかと思い、その年の冬に初めて雪上でスキーを体験。友達を誘い、毎週末ゲレンデに通いました。「最初はバランスが取れず倒れてばかりだった。でも何より友達と一緒に行くスキーが楽しくてしょうがなかった」と笑顔を見せます。小学生の頃から体育の授業は見学で、「みんなと一緒にやりたくて憧れていた」とこぼす田中さん。高校では陸上部のマネージャーになるなど、楽しさを分かち合うことに憧れていました。

▽スポーツを一緒に楽しむ
スキーを続けるうちに日本チェアスキー協会から声が掛かり、本格的な練習を開始。広いコースを独占できる楽しさを知り、スキーに魅せられていきました。2006年、初めてパラリンピックへ出た際は「出場できることに舞い上がっていて、友だちや家族が喜んでくれることがうれしかった」と振り返ります。何度も大会を経験するうちにメダリストのレベルの高さを目の当たりにし、同じ練習では勝てないと日本のチームを離れ、アメリカやニュージーランドなど海外で練習を重ねました。「いろんな国の選手がいたけれど、スキーがしたい気持ちを共有できたから、言葉が違っても伝えられた」。目指す道筋を見つけ大きく成長した田中さん。スポーツでつながる輪の中にいることを実感した瞬間でした。
「北京の滑走前に、スタートを知らせるコール音がブッブッブッと聞こえた時、とても落ち着いた気持ちだった」。自分を応援してくれる人がこんなにいたのかと実感し、持てる力を出し切った4度目のパラリンピック。『みんなと一緒にスポーツを楽しむこと』を求め続けた田中さんだからこそ見えた景色がそこにありました。

■成長への期待が原動力
バスケットボール選手
角野 亮伍さん(27)
プロフィル:1997年生まれ。厚木第二小・厚木中学校出身。藤枝明誠高校(静岡県)・サザンニューハンプシャー大学(アメリカ)卒業。15歳で初めて日本代表候補に選出。現在、Bリーグ・シーホース三河に所属するプロバスケットボール選手。

ボールを床に弾ませながらコートを駆け、大きな体を伸ばし放たれたシュートは高さ約3メートルのゴールへ吸い込まれていきます。プロバスケットボール選手の角野亮伍さんは、10月のシーズン開幕に向けて、チームメートとの連携や戦術などを確かめています。

▽できるようになる喜びを
角野さんがバスケットボールを始めたのは、小学4年生の頃。ニつ上の兄の友人から誘われたのがきっかけです。それまで習っていたサッカーが思うように上達せず、競技の面白さが見いだせないでいた頃でした。「同級生よりも背が高かったこともあり、たくさん点が取れてうれしかった」と始めた時を振り返ります。練習を重ねてできることが増えると、さらに楽しさを覚えた角野さん。「もっと上手くなり、やるからには世界を目指したい」と真剣に取り組むようになりました。

▽トップを目指して
学校から帰ると暗くなるまでボールを触ったり、競技経験者の父や兄と練習したりと、バスケットボール漬けの日々を送った角野さん。「バスケが好きだったから、苦だと思ったことはない」と話します。努力が実を結び、15歳で16歳以下の代表や日本代表候補に選出されました。
常にチームの中心で活躍してきた角野さんですが、中学・高校で目標にしていた「日本一」には手が届きませんでした。高校の全国大会で得点ランキング1位になれたものの決勝で敗れた時、父から「いくら点を取ろうと勝たなければ力不足」と言われ、攻撃だけでなく守りや連携が重要な団体競技の難しさを痛感。個人の成績に加え、よりチームの勝利へのこだわりが強くなりました。「個人でもチームでも負けたくない」と悔しい思いを力に変え、高校卒業後、本場アメリカへの留学を経て、24歳でプロ入りを果たしました。

▽原点の気持ちを大切に
4年目のシーズンを迎える角野さんは、練習中から仲間に声を掛け、いいプレーが出ればハイタッチをするなどチームの雰囲気づくりに力を注いでいます。「今でも成長を感じる」。技術やチーム力、人間性など、成長への胸の高鳴りは、競技を始めた頃と変わりません。目標は「このチームでの日本一」。人一倍強い思いを胸に、悲願達成へ向けた角野さんの挑戦が幕を開けます。

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