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知ろう楽しもう 総合公園

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神奈川県平塚市

◆今の総合公園ができるまで

現在、総合公園がある場所は、江戸時代は幕府直轄の中原御林として、明治時代から太平洋戦争が終わるまでは海軍火薬廠しようの一部として利用されていました。海軍火薬廠は、太平洋戦争でアメリカ軍の攻撃目標の一つでした。
昭和20年の太平洋戦争終戦後は、農林省の園芸試験場、さらに果樹試験場となりましたが、昭和53年に果樹試験場が移転します。その跡地を整備する構想の中で、森林公園として整備することを求める10万余人の署名運動が展開されました。署名活動の結果、大蔵大臣をはじめとした関係各方面に陳情がなされ、昭和57年に市制施行50周年記念事業の一環として総合公園の建設が始まりました。「昭和の城づくり」と命名され、21世紀への橋渡しとしてのシンボル性と、防災公園の機能を持たせました。平成3年に足掛け10年を費やした工事は完了。晴れてオープンとなりました。
昭和60年に平塚球場、62年に平塚競技場、平成3年には総合体育館を開設。令和5年4月には、平塚のはらっぱ西側にインクルーシブ遊具を備えた「こどもクリニックどうかいみんなの広場」もオープンしました。総合公園が造られた背景を思いながら園内を散策すると、また違った風景が見えてくるかもしれません。

問い合わせ:総合公園課
【電話︎】35-2233

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