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【特集1】関東大震災から100年 ~被災当時を振り返る~

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神奈川県 横浜市緑区 クリエイティブ・コモンズ

■関東大震災による横浜市の主な被害
死者・行方不明者:約26,600人(約25,000人)
住家被害:約35,000戸(約25,000戸)
※( )内は火災によるもの

■関東大震災の被害を見る
2023年9月1日、関東大震災から100年を迎えます。
1923年9月1日11時58分。推定マグニチュード7.9の巨大地震が首都圏を襲いました。35万棟を超える家屋が倒壊し、横浜では、津波や大規模火災も発生し、これにより推定約26,600人もの人々が命を落としたといわれています。日本の観測史上最大の被害を生んだのが、この「関東大震災」です。

◇当時の緑区の様子
都筑郡では、都田・新治・中里などで被害が大きく、長さ18m、深さ1.8mにわたり路面が傾斜し、道路陥没も複数あったといいます。
関内方面は被害がひどく、市内で家を焼かれ居る場所もなくなった人々が、大挙して都筑郡方面に避難してきました。当時の十日市場町住民が、「横浜が焼け横浜線は歩く人で黒山であった。背中が焼けた人や顔が火ぶくれの人、身重の女の人は、背中が火ぶくれでとてもかわいそうでした。」と生前に語っていたそうです。都筑郡内にとどまる者は、郡内罹災(りさい)者の約8倍の数になり、救護所で避難者の収容と救護が行われたといいます。
「横浜緑区史」より

■関東大震災からの復興と山下公園
横浜市は関東大震災により、壊滅的なダメージを受け、街中ががれきだらけになりました。そんな中、災害復興事業の一つとして作られたのが、この山下公園です。
1930年3月に開園した山下公園は、1925年から4年がかりのがれきの埋め立てが始まり、日本最初の臨海公園として誕生しました。
今では横浜のシンボルの一つとなっている山下公園ですが、実は震災復興のシンボルでもあります。
山下公園を訪れた際は、ぜひその歴史を感じてみてください。

■関東大震災パネル展
当時の状況を区民の皆さんに知っていただき、防災への意識を高めていただくため、区役所にて「関東大震災パネル展」を開催いたします。
関東大震災が横浜にもたらした被害の写真を市内各所から厳選して収集し、展示します。ぜひ一度ご覧ください。

開催場所:緑区役所1階イベントスペース
開催日時:8月7日(月)~10日(木)8時45分~17時、8月12日(土)9時~12時

問合せ:緑区役所 庶務係
【電話】045-930-2208【FAX】045-930-2209

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