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ふるさと昔よもやま話(138)

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福井県美浜町

■歴史と歩む印刷
美浜町歴史文化館では、山東公民館菅浜分館(旧菅浜小学校)に所在する若狭路文化研究所協力のもと、印刷技術とその歴史を紹介する「印刷と歴史展」を開催しています。
さて、現代社会では日々数えきれない印刷物が発行され、私たちの生活に欠かせない要素となっています。
印刷の歴史を紐解くと、情報を保存・発信する重要なメディアとして印刷物が利用され、印刷技術の発展が社会に影響を与えてきたことは、遥か昔から現在まで変わっていないことが分かります。
紙への印刷が始まったのは、7世紀中国でのことであり、木の板等を版として文字や図様を彫り、版画の要領で写し取りました。古くは重要な経典の複写に用いられていた技術です。8世紀の日本に伝来して以降、木版による印刷が、長らく印刷の主流でした。特に江戸時代では書籍が数多く発行され、浮世絵が人気を博す等、文化の土台となりました。しかし、木版を作るには技術と時間が必要であることが弱点でした。
この問題を解決したのが、1文字毎の型である活字を集めて版を作る活版印刷です。11世紀中国の工人畢昇(ひっしょう)が発明したとされるこの方法では、1字ずつ彫らずとも、活字を組み替えるだけでさまざまな文章を作れ、印刷の効率が格段に向上しました。
しかし、日本では文字種の多さや文字を区切らず文章を著す慣習と活字の相性が悪く、本格的な導入が幕末まで遅れることになります。明治政府が近代化の一環として奨励したことで、一躍活版印刷は主流の印刷となり、日刊新聞等の新しいメディアが生まれるきっかけにもなりました。全国で活版印刷所が設立され、美浜町にも大正期河原市で営業していた印刷所の写真が残されています。
また、コンニャク版やガリ版を使った簡易的な印刷法が普及し、少部数の印刷を手軽に行うことが可能となったのも明治時代のことでした。以後、会社や省庁の書類や学校のお知らせ等が、手作業で印刷されるようになったのです。
このように先人達の技が生み出した数多の印刷物は、貴重なメディアとして社会の形に影響を及ぼしてきました。また一方で、印刷物はその変遷を含めて、時々の歴史文化を後世に伝える貴重な記録としての役割を担ってきました。
「印刷と歴史展」では、木版等の印刷に用いられた資料と印刷された資料を併せて展示しています。急速に技術が高度化している今、改めて往時の印刷と歴史に及ぼした影響への関心が深まれば幸いです。
ぜひ、10月29日までの会期中にご来館ください。
(美浜町歴史文化館)

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