■中島卓偉(Nakajima Takui) ミュージシャン+小5と小2の親父 × 田辺一城(Tanabe Kazuki) 政治家+高1と中1の親父
「もし自分が幸せに生きていたら、ミュージシャンになってなかったかもしれない。偶然も必然もすべてが奇跡」
「みんながお母さんみんながお父さん、みんながおじいちゃんおばあちゃんみたいな環境だった。自分がしてもらったことを返せないとだめだと思う」
福岡県出身のミュージシャンは多いが、あえて市町村までプロフィールに書く人は少ない。
中島卓偉さんは、デビュー以来約30年間「故郷は福岡県の古賀市」とアナウンスし、ファンクラブ旅行ではバスを借り、筵内を訪れるほど古賀市に愛情を示し続けてくれている。
8月10日福岡ライブ前日、“まちの食交場るるるる”にお越しいただき田辺市長との対談が実現した。古賀で育った同世代の二人。まるで旧知の間柄のように時間が経つのも忘れ語り合った。
◆繋がる
市長:卓偉さんと繋がったきっかけはツイッターでしたね?
卓偉:「古賀市長がリツイートしてくれている」というのを、ファンの方から聞いてびっくりして。半信半疑で見たら「ホントや!!」と(笑)。
市長:以前からずっと気になっていましたので、片想いの私としては(笑)卓偉さんからメッセージをいただけたのがうれしくて。
卓偉:独立してシングル一発目の配信だったので、市長と繋がれたのがそりゃもうめちゃくちゃ光栄なことで。SNSがなければ田辺さんと知り合うきっかけはなかったかも。
市長:これはもう何としてもお会いしたいとラブコールしました(笑)。
久しぶりの古賀はどうですか?
卓偉:3号線を走って来て古賀に入った瞬間、何とも言えん感慨がありましたね。
変わらずに残っている風景にはホッとします。
◆卓偉の素
市長:〝古賀が原点〟だと伺いましたが…
卓偉:景色ひとつ取っても田んぼ、山、川、草木、海、全部ある完璧な自然。あまりにも美しい大自然に子どもながらに感動していました。筵内では子どもたち自身が遊びを考え、野山を駆けずり回る毎日。そこで学んだことが本当にでかくて、楽しい記憶しかないんです。
市長:〝田んぼのあぜ道を歩いて…夕暮れ時の…〟って楽曲「3号線」にもありましたが、人の手では作れない情景ですよね。
卓偉:子どもの頃は蛍がすごかったんです。剣道の後、街灯のない道を兄貴と自転車で帰るんですが「蛍は田んぼの上でぴかぴか光る、蛍がおらんとこが道やぞ!そこ走れ」って兄貴が教えてくれて。蛍がまちを照らしてくれるのが当たり前の自然だったんです。
市長:その環境が、今の感性を作り上げるのに影響している?
卓偉:そうだと思います。そこに離れて暮らす母親との思い出も重なって。言葉は歌詞に、見てきたものがメロディになって。僕の中での古賀のインパクトがとにかく強い。
市長:だからご自分の原点は古賀だと。なるほど繋がりました。
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