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800th Commemorative Dialogue(2)

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福岡県古賀市

◆東京で古賀の「親父」を実践
市長:僕らの世代は子どもが多かったし、関わる大人も多かったですね。
卓偉:悪いことしたら「きさん!」て怒られたり、膝すりむいて帰ってると近所の人から「大丈夫ね?あんた福教大の先生んとこの子やね」と、もうどこの子かバレている。田舎だからツーツーなんです。「お父さんまだ帰って来んやろう?なんかあったらすぐ言って」。こんな優しさがいつも身近にありました。
市長:その感じはまだ古賀にあると思いますよ。自分たちが地域に育てられたように、僕たちもそうしていかないと、と思いますね。
卓偉:理想のお父さん像ってのがあって、うちの子が友達を連れてきたときは、実践しますね。しれーっと入って来る子に(大きな声で)「挨拶せんで入ってきたらいけんなあ!!はい!挨拶~!!」って(笑)。そういうのが自分も嬉しかったから。いっしょに遊んだり野球してくれる大人も結構いました。「審判やっちゃろかい」「おいちゃんにも一打席打たせて~」とか。そういうのが嫌でも変でもなかったし、いい記憶でしっかり残ってるんです。
他人の大人が一緒に遊ぶってこのご時世難しいかもしれないけど、笑いかけてあげるだけでも違うと思うんですよね。
市長:濃密度は昔と変わったかもしれないけど〝地域の大人が子どもをしっかり見てあげる〟そんな風土を繋いでくれている大人はまだたくさんいますよ。
卓偉:それはうれしい!
東京に出たときに、古賀と比べてしまって、「冷たい」と傷ついたこともありましたから。

◆独り立ち
市長:東京へ出て独り立ちしたのが15歳。なぜそのタイミング?
卓偉:親父の転勤で筑波の中学へ転校したんですが、文化祭の時、友達もおらず期待もされてない転校生の歌が皆を驚かせてライブは大成功。その日からみんなの見る目が明らかに変わって、それで味をしめたんです。〝もしかしたら歌で夢を見てもいいかな〟と。
親父に相談したら「いっさい金は出さん。全部自分でやれ」と勘当された。おまえすねかじっとろうが、というのは嫌だった。なら、独り立ちするしかないと。
東京に出て、住み込みの新聞配達の仕事を探し、働きながら音楽の専門学校に通いバンド活動をした。がんを患っていた父は卓偉が家を出てから2か月で亡くなった。まだ10代半ばの彼に、卒業と同時に約60万の奨学金返済が始まり、多いときはバイトを9つ掛け持ちして完済した。

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