かつて、大野の町にアメリカがあった
■朝鮮戦争とアメリカ兵の住宅不足〜米軍ハウス
昭和25年に朝鮮戦争が始まり、板付基地に駐留するアメリカ兵が増員されると、春日原住宅地区の外にもアメリカ兵が暮らす住宅(オフベースハウス)が建てられるようになりました。こうした住宅は地元では「米軍ハウス」と呼ばれています。
米軍ハウスは、木造平屋の一戸建てで、外壁や破風がモルタル塗り、セメント瓦の屋根。内装は、床はフローリング、洋式の水洗トイレやシャワーがあるといった特徴があります。ハウスの壁にはアメリカ軍が管理する住宅を表す「IAB(Itazuke Air Base)」の文字とハウスナンバーを示す数字が書かれていました。
米軍ハウスは昭和47年に板付基地が完全撤収した後、住宅や店舗などに使用されていましたが、その数は年々減少しています。昭和37年の住宅地図には、「外人」「米人宅」などと記載され、アメリカ軍関係者が暮らす住宅は大野町だけで384戸以上もあったことが分かりました。しかし基地返還から50年が経過し、板付基地の生き証人とも呼ばれる米軍ハウスは、建物の老朽化から空き家になっているケースが多いです。
心のふるさと館では、令和2年12月から市内の米軍ハウスの戸数を調べる調査を開始し、令和5年8月までに39戸を確認しました。
もしかすると、あなたの身近なところにも米軍ハウスはひっそりと残っているかもしれません。
問い合わせ先:心のふるさと館文化財担当
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