文字サイズ
自治体の皆さまへ

太宰府の文華~公文書館だより(109)

28/49

福岡県太宰府市

■兵器製造工場と戒壇院
太宰府市公文書館では、「旧社会教育課永年文書」という、水城村役場が管轄していた史跡や文化財に関する、大正期から昭和40年代までの事務事績文書群を所蔵しています。ここで紹介するのは、「寺院教会建物目的外使用ノ件」という、昭和19(1944)年4月16日付の通知文書です。
これは福岡県仏教会長名で水城村長宛てに出された文書で、戒壇院を中央兵器福岡工場で使用することになった、という通知です。工場労務員のための共同宿舎として使うので、「寺院・教会建物目的外使用実施要綱」に基き「しかるべき御配慮」をお願いしたい、というものでした。寺院側から県知事に建物供出を申し出る、という形式の、いわゆる戦時の供出の一つで、具体的な手続き等は村役場を通して行われました。なお「要綱」では、寺院には宿舎としてのみではなく、労務員の「修養・錬成の道場」となるよう求められており、工場外でも規律ある生活を送ることができるよう、寺院側に寄宿者の指導管理も任せています。
中央兵器福岡工場とは、航空機用魚雷を製造した軍需工場です。前身は、大野城市錦町で昭和14年に操業開始した日本自動車株式会社で、同18年9月の海軍管理工場指定を受けて社名を変更し、軍需品の生産に切り替わったものです。従業員は当時1千900人ほどいたと言われており、その中には遠方から来た徴用工員や学徒動員による生徒たちがいました(『大野城市史下巻』)。彼らの寝泊り場所を確保するのに、工場の寮だけではとても足りなかったようです。
とはいえ戒壇院と言えば屈指の名刹の一つ。また由緒ある仏像を守っている場所でもあります。「決戦下行政事務の整理簡捷(かんしょう)化」の下、すでに文化財に係る新規の一部事務は停止されていましたが、各市町村に対しては既存の認定・指定文化財の保存管理の継続は求められていました。時局の要請とはいえ、「産業戦士」の受け入れとお寺の護持との両立は、なかなかな難題を持ち掛けられた、と言えます。

[バックナンバーはこちら]
ページID7241

太宰府市公文書館 藤田 理子(ふじた まさこ)

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU