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歴まちコラム ~歴史と文化のふる里探訪~

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福岡県添田町

■浄瑠璃の演目に「彦山」の名
人気の毛谷村六助伝説

前回の歴まちコラムでは、日本の伝統芸能の一つである「能」の演目のうち、英彦山にまつわる「花月」を紹介しました。今回は具体的に″ひこさん″の名前がついている演目「彦山権現誓剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」を取り上げます。

彦山権現誓剣は、三味線を弾きながら物語を語り、人びとを楽しませる「浄瑠璃(じょうるり)」という伝統芸能の演目です。作者は梅野下風(うめのしたかぜ)、近松保蔵(ちかまつやすぞう)の2人による合作で、「摂津国須磨浦(せっつのくにすまうら)の段」や「山城国小栗栖瓢箪棚(やましろのおくにおぐるすひょうたんだな)の段」などの11段(場面)で構成されています。天明6(1786)年、大阪の道頓堀東芝居で初めて上演されました。特に人気があったのは、11段のうち9段目の「豊前国毛谷村(ぶぜんのくにけやむら)の段」です。その内容は、父親を闇討(やみう)ちされた娘お園が英彦山の麓(ふもと)の毛谷村(現、中津市)に住む六助という人物とともに、父親のかたき討ちに向かうという話で、この段は「歌舞伎」でも上演されるようになりました。
町内には、この演目と同じような話が「毛谷村六助伝説」として残っています。六助は正直者の親孝行な男で、馬を両手で持ち上げるほどの大変な力持ちだったようです。その力は英彦山の神様にお祈りをして授かり、剣術は英彦山の豊前坊天狗から教えられたと言われています。
伝承では、英彦山へ参詣に来たお園が、六助に父親のかたき討ちの協力を頼み、その後、見事かたき討ちを果たした六助はこれが縁でお園と結婚したというものです。また、『津野』によると、上津野にはお園とその妹お菊が、父親のかたきを討つため六助を頼って毛谷村へ行く途中、仇敵(きゅうてき)(かたき討ちの相手)によってお菊が殺されてしまったため、地域の人びとがその出来事を悲しみ、お菊のお墓を建てて供養したとも言い伝えられています。
現在、英彦山修験道館には六助が使っていたと伝わる鉄砲と鉄棒が展示保管されています。長さ約2.5mの大きな鉄砲と重さ約60kgの鉄棒は、力持ちだった六助を連想させるものです。ぜひ一度、見学に訪れてみてはいかがでしょうか。
文・西山紘二学芸員(商工観光振興課歴史文化財係)

※参考文献
添田町『添田町史』平成4年
添田町『津野』昭和42年

問合せ:役場商工観光振興課歴史文化財係
【電話】82-1236

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