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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■磐城農業学校の位置をめぐる綱引き
県立磐城農業学校は、中等教育相当の職業教育を行う学校として、昭和19(1944)年4月に民間施設を活用して平市字六軒門(ろっけんもん)に開校したことに始まります。
しかし、昭和20(1945)年7月、平第一国民学校(現・平第一小学校)に落とされた模擬原爆で被災し、また、農場用地の狭さもあって、平市内の別用地への移転を視野に検討しましたが、移転先が決まりませんでした。このため、同年10月に植田町の町長などが尽力して校舎や農場用地などを無償提供。建設敷地は平から植田へ変更することに決まりましたが、資材が不足する中、今度は校舎建築費が容易に捻出できませんでした。このため、仮校舎を解体し、平駅から植田駅まで、職員、生徒などを総動員して運び、校舎建築につなげました。
昭和21(1946)年10月、県立磐城農業学校の起工式は植田町大字植田字小名田(おなだ)の学校敷地で行われ、完成までの間、授業は平の仮校舎と植田小学校講堂による分散授業で対応しました。
昭和22(1947)年4月の新教育制度発足とともに、県立磐城農業学校は県立磐城農業高等学校に再編・改称され、同年10月、新しい地で授業を開始しました。
昭和31(1956)年2月には、磐城農業高等学校の卒業生を中心とした「磐農高校平移転誘致期成同盟会」が元の平市への移転誘致運動を展開し、平市議会に陳情するまでに発展しましたが、まもなく鎮静化しました。
(いわき地域学會 小宅幸一)

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