文字サイズ
自治体の皆さまへ

朝河 貫一(あさかわかんいち)博士 生誕150年

1/40

福島県二本松市

世界的歴史学者であり、平和主義者として大きな足跡を残した朝河貫一博士は、今年、生誕150年を迎えます。
生誕150年を記念して、博士を顕彰する事業を開催しています。

■朝河貫一博士のおいたち
・明治6(1873)年12月20日(戸籍上は22日)
二本松町下ノ町新長屋(現・根崎二丁目)で生まれる。(父・正澄(まさずみ)、母・ウタ)
・明治7(1874)年8月
父・正澄、立子山小学校創設のため、一家で立子山村(現・福島市)に移る。
・明治12(1879)年5月
立子山小学校入学。
・明治19(1886)年4月
川俣高等小学校に転校。
・明治20(1887)年4月
福島尋常(じんじょう)中学校に入学。
・明治22(1889)年3月
同中学校が安積郡桑野村(現・郡山市)に移転。
・明治25(1892)年3月
同中学校卒業。
・同年11月
東京専門学校(現・早稲田大学)入学。
・明治29(1896)年~
米国留学(ダートマス大学、イェール大学大学院)。
・昭和23(1948)年8月11日
米国バーモンド州ウエストワーズボロで死去。

■博士の主な偉業(1)
「入来(いりき)文書」の執筆
~世界的歴史学者として~
大正6(1917)年にイェール大学から、日本留学を命じられ、鹿児島県薩摩(さつま)郡入来(いりき)村(現・鹿児島県薩摩川内(せんだい)市)の「入来院文書」の調査を実施。古文書を英語に訳しながら、日本とヨーロッパの封建(ほうけん)制度について研究し、歴史学に「東西比較法制史」の新分野を開拓した。

■博士の主な偉業(2)
「日本の禍機(かき)」と大統領親書草案の執筆
~平和主義者として~
明治37(1904)年の日露戦争終結後に「日本の禍機」を執筆。日本が軍国主義へと歩んでいくことで、日本が世界から孤立していくと警鐘を鳴らした。
また、日米開戦を止めるべく、大統領親書の草案を執筆し、親書は昭和天皇のもとへと届けられた。
しかし、博士の努力もむなしく昭和16(1941)年12月8日、日本軍による真珠湾攻撃がはじまり、太平洋戦争へと突入した。

■博士ゆかりの地
・博士生誕の地
竹田・根崎コミュニティセンター前

・朝河家墓所
金色墓地内

・朝河ざくら
学生時代、英英辞典を2ページずつ暗記しては食べるか破り捨て、残ったカバーを校庭の隅の若桜の根元に埋めたという。後にこれを「朝河ざくら」と呼ぶようになった。その苗木が二本松市に植えられている。

■記念事業(1) 
[朝河貫一博士を深く知る特別授業]
▽作文コンクール
二本松市内のほか、博士にゆかりのある福島市も含めた中学3年生を対象として作文を募集しました。10月には作文コンクールの表彰式を行います。

▽テーマ
「朝河貫一博士の考えや生き方からどのような思いを抱き、自らの人生を切り開いていくか」

▽出前授業
市内7中学校、福島市内2校で、出前授業を実施しました。(本紙掲載写真は安達中学校)

■記念事業(2) 
[記念講演会]
日時:10月14日(土)午後1時30分~4時15分
場所:安達文化ホール
内容:
(1)中学生作文コンクールの表彰式、発表
(2)基調講演会
「(仮)歴史学者朝河貫一博士が二本松藩士父正澄から受けた影響とは」
早稲田大学文学学術院教授 甚野 尚志(じんのたかし)氏
(3)トークディスカッション
・パネリスト
早稲田大学文学学術院教授 甚野 尚志氏
公益社団法人二本松青年会議所理事長 加藤 大史氏
二本松市内小学校PTA役員 鈴木 千鶴氏
二本松市教育委員会教育委員 関 奈央子氏
NPO法人地域のみんなのチカラ監事 寺島 康浩氏
入場料:無料
定員:300人
※事前登録制とし、定員になり次第、締め切りとします。
申込方法:下記二次元コード(本紙参照)からお申し込みください。

■記念事業(3) 
[企画展]
朝河貫一博士の父で戊辰戦争を二本松藩士として戦った父「朝河正澄」の生き様にスポットをあてた企画展です。
正澄の人物像や貫一が父から受けた影響などを展示で紹介します。
日時:9月16日(土)~11月19日(日)午前9時~午後5時
(最終入館は午後4時30分)
※休館日 9月19日(火)、25日(月)、10月2日(月)
場所:にほんまつ城報館1階 二本松歴史館「第2展示室」
入館料:無料

問い合わせ:文化課文化振興係
【電話】55-5154
【FAX】23-1326

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU