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町の昔話コーナー

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福島県新地町

■大戸浜
昔々、八百年も前のこと。伊豆の国は青砥(あおと)の庄というところを治めているお殿様の弟で青砥吉広(あおとよしひろ)という人がいたったと。ある時、何が原因かわがんねぇども、青砥家がお家断絶になっちまって、吉広も家族を引き連れて国を出ることになったと。安住の地を求めて、奥方と姫君と三頭の牛を連れて北に向かって旅に出たんだと。くたびれ果てて、ようやっとついたところが駒ケ嶺だったと。土地の人は偉い人がお越しになった場所というので、そこを『成沢(なりさわ)』と名前を付けた。今「なっさ」と言われている場所のことだ。
成沢で開墾しながら暮らしていた吉広だったども、ある年の夏、姫の安意(あんい)が、はやり病であっけなく亡くなってしまった。一人娘であったから吉広と奥方の菊女(きくめ)の悲しみは、はたで見ているのも気の毒なぐらいだったと。娘を亡くしてから、何も喉を通らなくなった菊女は病気になり、前途を悲観して崖から海に身を投げてしまったと。娘と妻を亡くした吉広は、二人を供養するため、崖のところに二人を埋めて、墓標の代わりに松を植えたと。その松は大きく育って、まるで地面を這うように低く伸びていくんだと。「あの松はまるで母を慕う童のように見えっとなぁ」と土地の人たちは、噂していたったが、それがいつの間にか「稚児の這い松※1」と呼ばれるようになったんだと。吉広は安波神社に二人を祀り、供養のために観音堂をたて、その後も土地を切り開いていったと。こうして次第に富み栄えたので、いつしかその土地を「青砥浜」と呼ぶようになったんだと。それが、いつの間にか「あおとはま」が転じて「おおどはま」と呼ばられるようになったんだと。
※1「稚児の這い松」 現在の大戸浜観音堂に、その昔、植えてあった大きな松。現在生えている松は、稚児の這い松が植え替えられたものだそうです。
新地語ってみっ会では、語り部による昔話や紙芝居など毎月第3土曜日13時30分から二羽渡神社南、おがわ観海堂(小野俊雄宅離れ)にて参加費無料で、公開しています。興味のある方はぜひご参加ください。

問い合わせ:新地語ってみっ会
【電話】62-2441

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