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【連載】昭和村の歴史と文化~第5回~

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福島県昭和村

昭和村文化財保護審議会委員長
菅家 博昭(大岐)

◆からむしDNA解析
近世江戸時代、日本最大のからむし産地であった最上苧(もがみそ)の中心産地、山形県大江町で、「大江町青苧遺伝子調査成果報告会」が3月29日午後に開催され、参加した。山形県内では「あおそ」とからむしのことを発話する。カラムシBoehmeria niveaという植物から製繊されたテープ状の繊維原料商品名を「青苧(あおそ)」と呼び、昭和村は商品繊維そのものもからむしとよぶ。宮古島等の沖縄では「ぶー」と呼ぶ。
昭和村のからむし生産は最上苧・米沢苧に続き、江戸時代中期以降に開始された最後発の産地である。かつて広告代理店が600年前の室町時代からからむし栽培・生産をしたとアピールし、そうした新しく作られた創作記録を鵜呑みにしてきた経緯があったが、それを示す史料は存在していなかった。
昭和村・福島県内に残る史料からは、昭和村(野尻組)でからむし栽培がはじまったのは江戸時代中期以降というのが定説になっている(拙著『別冊会津学1暮らしと繊維植物』奥会津書房刊・2018年、からむし工芸博物館『文字にみるからむしと麻』2015年刊)。江戸時代の会津藩等の史料では、保科正之が藩主時代に前任地の山形からからむし根を購入して会津各地に植えたという史料が『家世実紀』に存在する。
さて、山形大学農学部の准教授・笹沼恒男先生に、大江町が費用負担をして依頼した「青苧遺伝子調査」の結果は、最上苧の大江町と昭和村を含む会津各地に残るカラムシの分析結果は、山形県内産のカラムシ→会津産(昭和村含む)のカラムシという系統樹となった。遺伝の多様性は大江町内が高く(原産地の特徴)、会津産カラムシはひとつの系統であることが明らかになった。山都町堰沢の谷野又右衛門家近くのカラムシも最上の遺伝子であった。
宮古島等は台湾産に遺伝的に近いこともわかった。
からむし工芸博物館の外庭にある「世界の苧麻園」にある海外産カラムシの遺伝調査も同時に行っていただいた結果である。
この調査で気になったのは、大江町小釿(コジュウナ)地区の遺伝的多様性が高く、それ以外の名産を産出した七軒苧等と大江町内のカラムシは遺伝的には同じものであろうことが理解できた。風を除ける地形環境によるものか、新たな課題が出ている。さてなぜ小釿地区に多くの遺伝的多様性、つまりそこから最上苧の栽培がはじまったとも推察されるのだが、その理由は出羽三山、特に湯殿山参詣のルート(つまり宿駅等)が関わっているのではないか?と予察している。会津各地に現存する湯殿山供養塔は、昭和村を含む民衆が最上苧の本場に行くための参詣ではなかったかと考えている。一方明治時代にアサが産業の主体となるとその本場の栃木県鹿沼地方に行くための「古峯社(こぶがはら)参り」に、行き先が転換する。
伊勢参り等も、すべて物見遊山という型式を借りた産業調査・種子等の入手紀行であったことは多く知られている。金比羅参りは染めの藍(アイ)の種実の入手、藍建て技法の盗用等の目的もあったためだ。
藍の種実は、ほうろくで煎られ加熱後に販売されたから、帰郷後、タネを蒔いても芽を出さなかった。畑から盗用されるよりも金比羅の門前で販売したほうが良かったからだ。南会津町の奥会津博物館では、藍染めを行った江戸時代の田島町内藍染め屋の大福帳記録の解析を行っているが、町内を含む会津各地でアイは栽培され乾燥した葉の流通があったことが明らかになっている。
※詳しくは本紙をご覧ください。

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