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昭和村史料探訪記 vol.42

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福島県昭和村

地域おこし協力隊 松尾 悠亮

◆昭和村医学史料の紹介下中津川医師本名俊甫について(2)
前回に引き続き幕末・明治時代、下中津川で活躍した医師本名俊甫に関する史料を紹介します。

1.本名俊甫墓誌稿「良医名誉之石碑(イシフミ)」:石碑を立てる際の寄付金募集…(1)
本名俊甫翁、本年八十余旬ノ高齢ヲ重ヌト雖トモ、身体殊ニ安健無事ニシテ流石老練ノ良医ナリ。而(しこう)シテ病家診察ヲ乞(こう)トキハ直(すぐ)ニ応シ、歩行スルコト宛(あたか)モ壮者ノ如ク、固ヨリ廉直律儀ニシテ驕奢ヲ避ケ、未(いま)タ曽(かつ)テ一点ノ失策ナク、斯(かく)長寿ヲ保有スルコト豈ニ欣然ノ至リ、誠ニ衆庶ノ欲スル所也。依テ不肖、聊カ微哀ヲ吐露シテ以テ尊翁ニ報センコトヲ伏テ惟(おも)フ。冀(ねがは)クハ当地有志諸君ト伴ニ多少ヲ論セス応分ノ義捐ヲ以テ尊翁ノ石碑料ヲ募リ、一際著シク裏面ニ左ノ碑文ヲ彫刻シテ名誉ヲ永世ニ上表セント欲ス。宜(よろ)シク洞察、賛成ヲ希望スルコト尓(しか)リ。

医師本名俊甫について、80歳を過ぎても健康であり、さすが「老練ノ良医」であると称えられています。誰が募ったのかは分かりませんが、尊翁(俊甫)の功績に報いるため、石碑料の寄付(義捐)を募集しています。次は、その碑文をみてみましょう。

2.本名俊甫墓誌稿「良医名誉之石碑」:良医本名俊甫の事績…(2)
山ノ内苗裔、本名伯耆始メテ本名氏ノ祖先タリ。天正四年二月四日卒ス。法名ハ陽現院殿常照夢道居士、十五代ノ後胤本名俊之助修道、享和二年戌年十月廿(2)六(6)日誕生。盛年ニシテ聴敏、村名主ト為リ勤続スルコト四十年、将(は)タ当組惣代タルコト十三年、大谷組間方村名主十二年、同組総代九年、在勤中、席昇進及賞与ヲ蒙リ凡(およそ)十八度。無病ニシテ身体健康ナリ。性、端正寛仁ニシテ能ク衆庶ヲ説示シ、普(あまねく)ク習字読書ニ心ヲ委ネ、加之(しかのみならず)医道ニ志シ、師ニ就テ卒業シ数年経験ヲ積メリ。偶(たまたま)奇術アリ。患者ヲ診察スルコト殆(ほと)ント七十有余年。頗(すこぶ)ル老練ノ良医タリ。旧会津公御預リノ節、郡(こおり)奉行(ぶぎょう)樋口源治氏勤中、医学校エ願済、医術開業名ヲ俊甫ト改ム。維新ノ後、明治十七年八月廿(2)五(5)日、内務卿ヨリ医術開業免状ヲ拝受ス。内熟習字読書ノ門弟十名アリ。真ニ稀世ノ逸国午ト云フベキナリ。

俊甫の40年にわたる村名主としての活動や70年以上の医者としての活動が称えられています。この碑文が彫られた墓は現在も下中津川に残っています。(続)
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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