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シリーズ まち・ひと・しごと #50(1)

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茨城県利根町

昭和の高度成長期から現在まで、時代が大きく移り変わるなか、今でも人々の胃袋を支え続ける大衆食堂や町中華。
近年では、テレビなどで取り上げられ注目を浴びていますが、ここ利根町にも、地域で長く愛される飲食店や町中華の名店が数多くあります。今回の「シリーズまち・ひと・しごと」は、利根ニュータウン商店会で42年続く町中華の店「利根飯店」の二代目店主、戸田雄太さんにお話を伺いました。

■みんなを笑顔にする本格町中華
利根飯店 店主
戸田雄太(とだゆうた)さん

▽利根町で42年続く町中華
「利根飯店」は、雄太さんの父、戸田利一(としかず)さんが、利根ニュータウン商店会にオープンし、今年で42年目を迎える老舗(しにせ)の中華料理店です。
開店当時、利根町の人口は爆発的に増加しており、ニュータウン商店会にも生鮮食品を扱うお店や生活雑貨店などが立ち並び、連日多くの買い物客で賑わいを見せていました。
今では、商店主の高齢化や大型スーパーの出店、生活様式の変化などから客足が減り、シャッターを下ろしたままとなっているお店も目立つようになりましたが、利根飯店は、そんな時代の変化にも流されず、長く地域住民に愛され続けている人気店です。
二代目店主の雄太さんが、父親の利一さんから利根飯店を継いだのは、今から25年前、23歳のときでした。それ以前は、高校卒業と同時に父の紹介で池袋の中華料理店で働きながら料理の修行をしていました。
「父の店を継ごうと決心したのは、高校3年生の時でした。いち早く戦力になりたかったので、いきなり父の店で働くという選択肢もありましたが、東京の中華料理店で修業したことで、料理の技術はもちろんのこと、食材の調達や仕込みなど、料理を基本から学ぶことができて、当時の経験は今も活きています」

▽父から受け継いだ味
東京で5年間の修行を終え、利一さんとともに利根飯店の厨房に立つことになった雄太さんですが、「当時は、親父(おやじ)の指導も厳しくて、お客さんからもなかなか認めてもらえなかった」といいます。
常連のお客さんから「せがれが作ってるなら、今日は酒だけでいいや」などと言われることもあり、そのとき、利一さんから「作り続けていれば、そのうち分かってもらえるから、とにかく今の形のままやってみろ」と言われた言葉が、今でも雄太さんの胸の奥に刻まれているそうです。
「お客さんに認めてもらって、信頼を得るまでは時間がかかりますが、失うのは一瞬」と雄太さんは言います。「父から受け継いだ味を追い続けていたら、徐々にお客さんも認めてくれるようになって『また来るからよろしく』と言ってもらえるようになりました」

▽いろんな世代に愛される店にしていきたい
昨年10月に、父の利一さんが急逝(きゅうせい)し、現在は、一人で厨房に立つ雄太さんは、父が残してくれた味を守りつつ、新しいことにも積極的に挑戦しています。特に自慢の鶏ガラスープは、お店のほとんどの料理に使うものなので、父の味は守りつつ、今でも改良を続けています。
「開店当時は、一般的な中華料理店にあるメニューしかありませんでしたが、お客さんの要望に応えてカレーやオムライスなどの洋食も始め、徐々にメニューが増えていきました。今では定番メニューとなった『とねりんチャーハン』も、『チャーハンに焼き肉を豪快に乗せてほしい』という常連さんのリクエストをきっかけに、以前から裏メニューとして好評だった焼肉チャーハンに、利根町産の野菜を追加して誕生したメニューです」
大好きな利根町のため、地産地消を意識して、ほかのメニューにも町の食材を積極的に使うようにしているという雄太さんが、店を継いでから今年で25年。
今までで印象に残っている出来事を伺ってみると、「常連のお客様が息子さん夫婦やお孫さんと一緒に親子三代で来てくれて、笑顔で料理を食べてくれたこと」だそうです。
「親子三世代がみんなで楽しめる場を提供できて嬉しかったし、利根飯店がそういう場所になれるように、これからも頑張っていきたいです」
また、以前、利根町地場産業フェスティバルに出店したときには、お米12升分のチャーハンと30kgの唐揚げを作ったことがあり「翌日腱鞘炎(けんしょうえん)になっちゃったけど、当日はハイになってて、思い返すと楽しかった」と話す雄太さん。利根飯店は、今年の11月に開催される地場産業フェスティバルにも出店予定です。

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