■兵藤和男展 ~旧永井路子コレクションより~
○横浜の画家 兵藤和男
深く沈んだ青色の重厚な画面。黒色に近い背景のなか、密(ひそ)やかに水差しとグラスが浮かび上がる。複雑な赤い色調に彩られた柘榴(ざくろ)の実は、暗色の画面から輝きを放ち、この作品に秘めた生命力を伝えているかのよう。
本作品を描く兵藤和男(ひょうどうかずお)氏(1920~2012)は横浜市生まれの洋画家です。1933年頃より油絵を描き始め、1942年に独立美術協会主催の独立展に初入選しました。以後も出品を重ね、1947年に独立展会友に推挙されますが、翌々年には辞して無所属の画家となります。以降、いわゆる画壇の外に身を置き、求道的な姿勢をもって具象絵画の本道を究める作画を続けることになりました。
兵藤氏は画壇と距離を置きつつも、若手美術家たちを集めて神奈川アンデパンダン展を開催し、多くの画家と交流。さらに、文学者・美術史家たちとの活発な交わりを通して画壇に少なからぬ影響を与えています。また、その画力を嘱望された同氏は、1950年、洋画壇を代表する林武(はやしたけし)氏の知遇を得て私淑(ししゅく)し、後年同じく洋画の大家・里見勝蔵(さとみかつぞう)氏にも厚遇され、両者ともに晩年まで交誼(こうぎ)を結びました。
○永井路子との出会いと交流
ところで、歴史小説家の永井路子氏は兵藤氏の詩情豊かな作品を多く愛蔵していました。永井氏が、古河の歴史や文化に多大な影響を及ぼしたことは言うまでもありません。芸術に造詣が深く、歴史的観点から美術に触れた随想なども多く著した永井氏は、美術家やその関係者たちとの交流も盛んでした。兵藤氏の作品群は、そうした文化交流のなかで築かれた、いわば永井路子コレクションのひとつであったといってよいでしょう。
さて、永井氏の兵藤作品を収集する所以(ゆえん)となった人物は、前述した里見氏と、洋画家の鎌田(かまた)とみ子氏の二人であったといわれています。永井氏と里見氏との間の親密な文化的交流は、永井氏が1962年から40年間過ごした鎌倉山(鎌倉市)で育まれたといい、鎌田氏との交流は、東京女子大学卒業後、一時東京の事務所に勤めた永井氏が、そこで働く鎌田氏と知り合ったことがきっかけでした。
その後、鎌田氏は画家の道に進むことになりますが、その鎌田氏に里見氏を紹介したのは他ならぬ永井氏であり、鎌田氏は里見氏の弟子となっています。高齢になった里見氏は、鎌田氏の先々を案じ同氏に師匠として兵藤氏を紹介。里見氏の没後、鎌田氏は兵藤氏に師事しています。これを契機に、永井氏と兵藤氏との交流が始まったのでした。
○旧永井路子コレクション
以来、永井氏と兵藤氏は、鎌田氏の作画指導や心情・生活への配慮、個展の計画・実施など、詳細な報告のやりとりから文学・芸術の世界に至るまで、親しく交流しています。兵藤氏が没するまで続いたその関係から、永井氏のもとには油彩画を中心に兵藤作品が集められました。そして兵藤氏没後、永井氏はその20点余りの処遇をご遺族に託しています。
兵藤氏のご遺族は、永井氏とゆかりのある古河市での活用を望まれ、これらの作品と関係資料が当館へ寄贈されました。このたびの展覧会は、これらの寄贈作品を公開する場として開催するものです。永井路子旧蔵作品より紹介する孤高の画家・兵藤和男の絵画世界を、ぜひ、お楽しみください。
○企画展「兵藤和男展」
期間:3月16日(土)~5月6日(月)
古河歴史博物館学芸員 倉井直子
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