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小美玉市の歴史を知ろう64

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茨城県小美玉市

■茨城の牧野富太郎―郷土の植物学者 鶴町(つるまち)猷(はかる)―
NHK連続ドラマ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった「日本植物分類学の父」牧野富太郎。小美玉市にも「茨城の牧野富太郎」とも称される植物学者 鶴町(つるまち)猷(はかる)という人物がいます。

◇教職の道
明治38年(1905年)、21歳で茨城県師範(しはん)学校を卒業した猷は、行方郡内の尋常高等小学校で教鞭(きょうべん)をとります。27歳の時に師範学校中学校高等女学校教員免許(博物植物科)を取得し、翌年には茨城県新治郡立農学校(現石岡一高)などに赴任しました。39歳で茨城県女子師範学校の講師となり、48歳の時に教授となりました。

◇植物学者の道
猷は、教員生活の傍(かたわ)ら、植物分類学の研究を進めていました。昭和6年(1931年)に茨城県内での最初の植物相(フロラ)となる「茨城縣産植物目録高等植物之部」を発表しました。その後、目録に新たな植物を追加するために精力的に採集を続け、その数は1万点に及びました。
新種と思われるものを発見した際は、東京帝国大学牧野富太郎博士などの中央の研究者に鑑定を依頼し、植物学会に発表されました。新種の数は13種に及び、ミトスゲ、ミトイチゴツナギ、カドハリイなどがあります。特に、ササは、ヒタチナンブスズなど6種類を発見しました。

◇牧野富太郎と鶴町猷
大正3年(1914年)、牧野博士は『植物研究雑誌』にて「ヤチスギランの新産地」として、猷が多賀郡松原町(現高萩市)で採集した標本を紹介しています。昭和2年(1927年)5月、猷が所属していた茨城縣植物學會は、牧野博士を筑波山で開催された講習会に招き、指導を受けて、「筑波山植物目録」を作成しています。また、昭和8年(1933年)に猷が発表した「茨城縣産植物に追加すべき植物」の序文には、これまで受けた指導に対して、牧野博士への感謝の意が込められました。

◇百樹園(ひゃくじゅえん)
水戸で醤油醸造業を営んでいた4代目木村伝兵衛は、徳川光圀公が那珂川の河川敷(現ひたちなか市三反田)に作った「百色山(ひゃくいろやま)」の衰退を嘆き、義公生誕300年にあたる昭和3年(1928年)、水戸元吉田の地に「樹木園」の建設を計画しました。
この計画に茨城県女子師範学校時代の猷も関わっています。野原茂(旧水戸高)が設計を行い、牧野博士の指導をはじめとして、斎藤卯内、佐藤甲(いずれも旧水戸高)、そして鶴町猷の3名が尽力し、裸子植物3科61種、被子植物61科324種、856本の樹木が集められ、昭和8年(1933年)6月には、牧野博士が臨席して盛大な開園式が行われました。(玉里史料館本田信之)

○語句解説
植物相(フロラ):特定の限られた地域や水域に分布、生育する植物の全種類のこと。

◆参考展 生誕140年記念 郷土の植物学者 鶴町猷
会期:10月15日(日)まで
時間:9:30~18:00(10月7日(土)・8日(日)は12:00まで)
場所:玉里史料館(生涯学習センター内)
休館日:月曜日、9月19日(火)、23日(土)、10月10日(火)

問い合わせ:生涯学習センターコスモス
【電話】0299-26-9111

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