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歴史資料館だより No.101

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茨城県桜川市

■大地に残る古代の営み~古墳~
古墳は、主にその地域を支配する者の墓として、約1,600年以上前から造られ始め、約400年にわたり造られ続けました。現在でも各地に残る古墳などの遺跡は、造られた当時のことを物語ってくれる大切な地域遺産です。
桜川市の古墳の数はなんと300基近くにのぼります。未発見のものや、既になくなってしまったものを含めるとさらに多くの古墳があったと考えられます。

◇古墳マップできました
このたび市内の古墳マップを作成しました。古墳や古墳群の場所のほか、発掘調査で分かった古墳のトピックス、市内の古墳の大きさランキングなどを掲載しています。
古墳マップは文化財課ホームページからダウンロードできます。ぜひ、身近な地域の古墳の場所を確かめてはいかがでしょうか。

■鴨鳥五所神社に残る室町時代の棟札
修理が始まった大泉地区の鴨鳥五所神社には、中世の棟札(むなふだ)も残されています。棟札とは、建立や修理の際に年月日や大工棟梁、経緯などを記して建物に納めたり、打ち付けたりした木札です。昭和初期には応安2年(1369年)の結城(ゆうき)氏による棟札もあったようですが、芳賀(はが)氏による応永29年(1422年)と永享7年(1435年)の棟札は県指定文化財になっています。
富谷観音の三重塔は寛正6年(1465年)、多賀谷(たがや)氏の建立ですから、15世紀の貴重な建物が岩瀬地区北西部に二つもあることになります。
永享の棟札には「大檀那(だんな)芳賀四郎入道沙弥(しゃみ)道音」「政所(まんどころ)京都庄主」「大泉郷堀内之御百姓等御同心」とあります。
芳賀四郎は芳賀氏の一族で坂戸城を築いた小宅(おやけ)氏と考えられ、大泉を含む中郡(ちゅうぐん)が京都室町幕府の御料所(ごりょうじょ)(直轄領)だったことも分かります。
裏面には「大泉之堀内乃五所権現の御修理の時いのり物」「御こし(輿)かりとの(仮殿)へまいらする」「御輿かゝけ(掲げ)まいらする」「ぬの五たん、くろこめ八升」「神馬一疋」「まくさ(秣)いね(稲)ハ一反ニ一は(把)つゝまいらせ」など室町時代の祭礼時の具体的な内容も記され、この棟札だけでも一級の歴史史料となっています。

教育委員会文化財課文化財グループ
【電話】58-5111・75-3111(代表)

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