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「原城跡」が世界文化遺産登録5周年を迎えました!

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長崎県南島原市

今年は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである、「原城跡」が世界文化遺産に登録されて、5年を迎える記念の年です。
本市の「原城跡」がどのような城だったのか、どのような点が世界に認められたのかを改めてご紹介します。

■どういう城?
原城は、日野江城(北有馬町)の支城として、有馬氏によって築城されました。
城は海岸に突き出した標高31メートルの丘に築かれ、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸・鳩山出丸などから構成される、周囲を海に囲まれた天然の要塞です。
寛永14(1637)年から寛永15(1638)年に勃発した「島原・天草一揆」の舞台となった城です。

■原城と島原・天草一揆
「島原・天草一揆」は寛永14(1637)年10月、島原と天草地域で起きた大規模な一揆です。両地域では、16世紀後半ごろキリスト教の信仰が盛んでしたが、禁教令以降キリシタンへの厳しい弾圧が行われました。その上、領主による圧制が領民を苦しめ、天候不順による飢饉も重なり、一揆が起こりました。原城には、天草四郎を総大将に2万人を超えるキリシタンが籠城し、約12万人の幕府軍と交戦しましたが、周囲を取り囲まれ鎮圧されました。

■世界文化遺産になったのは?
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教禁教による宣教師不在の中、神道や仏教などの日本の伝統的宗教をはじめ、一般社会と関わりながら信仰を続けた「潜伏キリシタンの伝統のあかしとなる遺産群」です。
原城で起こった「島原・天草一揆」は、幕府を大きく震撼させました。一揆後、幕府は宣教師の入国を確実に排除するため、海禁体制(鎖国)の確立など、禁教政策を徹底。2世紀以上にわたり、キリシタンたちが潜伏し、自分たちで信仰を守り続けていく重要な”きっかけ”となる出来事になりました。
つまり、原城跡は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のストーリーの出発点なのです。

▽世界遺産登録5周年記念 限定御城印好評発売中!
原城跡総合案内所、有馬キリシタン遺産記念館で販売しています。
令和5年11月には第2弾限定御城印の発売を予定していますので、お楽しみに!

問合せ:有馬キリシタン遺産記念館
【電話】85-3217

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