神仏習合(しんぶつしゅうごう)の歴史を現在に伝える
「木坂海神神社弥勒堂跡(きさかかいじんじんじゃみろくどうあと)」
海神神社の所在する峰町木坂は対馬西海岸に面しており、気候の良い日には社殿から韓国南海岸の地域を眺望することができます。神社のある山は居津(いづ)山(伊豆山)と称され、一の鳥居から西の平坦地は伊豆ノ原と呼ばれ、ここには人の居住が許されていません。また海岸は御前浜と呼ばれ、丸石を積んで作られたヤクマの塔がみられ、昔から一帯が聖地として崇められていることがうかがい知れます。
弥勒堂跡は、1987年8月の台風直撃の際、一の鳥居東側の巨木が倒れ、その浮き上がった根元から須恵器や輸入陶磁器片が発見されたことで、存在が指摘されるようになりました。それまで弥勒堂は、近世の文献に「神社の傍らに神宮寺としてお堂がある」と記録される程度で、堂の創建や消滅の時期についても不明であり、場所も特定されていませんでした。その後、本殿のすぐ下、三の鳥居脇にある狭い平坦地が、弥勒堂跡の推定地として発掘調査の対象となりました。
調査の結果、膨大な中世遺物が出土し、青磁を中心とした陶磁器の他、懸仏(かけぼとけ)の台座や銅鏡、石鍋などが多数確認され、所在不明だった弥勒堂であることが確実視されるようになります。また、焼土や焼け石の堆積が確認されたことから、神仏習合思想の衰退とともに忘れ去られ、火災にあった後は再建されなかったと考えられています。
次回は、現存する国内最大規模の藩船格納施設「対馬藩お船江跡」を紹介します。
問合せ:文化財課
【電話】0920-54-2341
<この記事についてアンケートにご協力ください。>