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波佐見の偉人 第11回

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長崎県波佐見町

◆森 正洋(もり まさひろ)

森 正洋は昭和2年(1927)11月14日に現在の佐賀県嬉野市塩田町で生まれました。
昭和16年(1941)4月、佐賀県立有田工業学校(有田工業高等学校)図案科に入学し、昭和20年(1945)3月に卒業する間の昭和19年には岩尾磁器工業株式会社へ学徒動員していました。昭和21年から翌年まで有田の先駆的な陶芸家・松本佩山に師事し、昭和23年(1948)4月から昭和27年(1952)3月まで多摩造形芸術専門学校(多摩美術大学)工芸図案科で学び、その間、昭和24年から26年まで商工省(通商産業省)工芸指導所第二設計室研究生として過ごしました。大学卒業後、株式会社学習研究社に就職し昭和28年まで勤務しました。

◇波佐見へ移住、そして「G型しょうゆ差し」を製作
昭和28年(1954)1月に当時井石郷にあった長崎県窯業指導所(現在は稗木場郷の長崎県窯業技術センター)デザイン室に勤務したことが波佐見で活躍するきっかけとなりました。昭和30年(1956)7月、白山陶器株式会社に入社し、後に開設されたデザイン室でハウスデザイナーを勤めることになり、以来22年間に渡って波佐見で大活躍しました。
白山陶器に入社後、機能美を追求した独自のデザインによる作品を次々に発表しました。昭和35年(1960)には有名な「G型しょうゆ差し」を中心とした一連の作品が、日本デザインコミッティーから第1回のグッドデザイン賞を授与されました。以来、通商産業省(経済産業省)のGマークに選定される優れた作品を次々に生み出し、その数は昭和36年(1961)から平成18年(2006)の間に114点にも上りました。正洋は数々の日常の器のデザインを通して、日本の食卓のプロダクトデザインを牽引する陶磁器デザイナーとして活躍の場を広げていきました。

◇教育者・審査員として
正洋は創作活動以外に国内外のデザイン会議のパネリストや著名なコンペの審査員、九州産業大学芸術学部教授や佐賀県立有田窯業大学校講師等芸術系の大学等で教員を務めるなどその活動は多岐に渡り、日本を代表するデザイナーとして活躍しました。その功績により昭和46年(1971)に第1回大倉和親記念財団から表彰を受け、昭和49年(1974)に第1回国井喜太郎産業工芸賞、昭和50年(1975)に第20回毎日産業デザイン賞、平成17年(2005)には勝見勝賞などを受賞しました。

◇海外でも評価されるデザイナー
正洋の作品は海外でも高い評価が与えられ、イタリア・ファエンツァ国際陶芸展で金賞、スペイン・バレンシア国際工業デザイン展陶芸部の金賞を受賞するなどイタリア、フランス、ドイツ、アメリカなど世界各地の美術館やデザインミュージアムでの作品展に招待されました。また、アメリカではイサム・ノグチ、フィンランドではカイ・フランクを訪ねるなど世界の芸術家とも交流を深めました。
森 正洋は1950年代から2000年にかけて日本のみならず世界的な陶磁器デザイナーの第一人者として高く評価され大活躍しましたが、正洋が残した優れた作品の多くは陶磁器デザインの歴史に輝いています。

◇波佐見に残る森 正洋の作品
波佐見町が生んだ偉大なデザイナーの作品は今でも町内に残されています。昭和43年(1968)に波佐見開窯370年を記念して井石郷の波佐見陶磁器工業協同組合の敷地内に建立された「陶碑」のモニュメントのデザインをはじめ、平成8年(1996)に完成した「世界の窯」や大陶壁「陶磁の路」を中心とする、やきもの公園のデザインです。これらはやきもの産地「波佐見」のシンボルとして後世に誇れるものです。
正洋は平成17年(2005)11月12日に佐世保市内の病院で亡くなりました(享年77歳)。

なお、今回で偉人の紹介は終了します。

学芸員 盛山 隆行

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