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[特集]長崎の歴史と結びついた世界遺産(1)

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長崎県長崎市

登録5周年 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

■長崎と天草地方の潜伏キリシタン年表

◆長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
17~19世紀の2世紀以上の間、日本ではキリスト教禁教政策が行われていました。そんな中、長崎と熊本県天草地方では日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら、キリスト教の信仰を続けた潜伏キリシタンがいました。
この潜伏キリシタン独特の文化的伝統の継承を証明するものとして、平成30年に世界文化遺産に登録されました。

◆12の構成資産で語られるストーリー
この世界文化遺産は、長崎と天草地方の8市町に点在する12の構成資産からなります。潜伏キリシタンがどのように信仰を続けたのか、キリスト教が解禁後にどのように変化していったのかという「潜伏のきっかけ~潜伏の終焉(えん)」のストーリーです。
その中で、市内には3つの構成資産があり、今回はその資産をご紹介。
登録5周年のこの機会に、ぜひ訪れてみませんか。

◆聖画像を密かに拝んで信仰を続けた~外海の出津集落~
長崎市の外海地域にある出津集落。
この集落は構成資産の中で、潜伏キリシタンが信仰を続けながら暮らした集落の1つです。
禁教期には、表向きは仏教寺院に属しながら、宣教師に代わる指導者をおいて組織的に信仰が続けられました。
「オラショ」と呼ばれる祈りの言葉を口承で伝えたり、聖母マリアをかたどった青銅製の大型メダル「無原罪のプラケット」や禁教期初期に描かれた聖画像などを密かに拝んだりすることによって信仰を深めました。
また、潜伏キリシタンが信仰対象として拝んでいた中には「イナッショさま」という銅製の仙人像をキリスト教のイエズス会創始者イグナティウス・ロヨラに見立てたものもありました。

禁教が解かれた後の潜伏キリシタンは、カトリックへ復帰する者と、禁教期の信仰形態を継続する者(隠れキリシタン)とに分かれました。
そして、1882年には、ド・ロ神父が集落の中心部に出津教会堂を建てました。この教会堂は、出津集落における「潜伏」が終わったことを象徴しています。その後、教会堂は二度の増改築を経て、現在の姿になりました。
集落内には長崎市外海歴史民俗資料館があり、外海地区のキリスト教や集落に関する資料、「イナッショさま」なども展示されています。
また、禁教期に集落を管轄した代官所の跡地にド・ロ神父が創設した旧出津救助院などがあります。潜伏キリシタンの「潜伏」が終焉に向かう移行期などについて解説しています。

問合せ:世界遺産室
【電話】829-1260

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