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[特集]長崎の歴史と結びついた世界遺産(2)

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長崎県長崎市

◆密かに信仰対象を神社にまつった
~外海の大野集落~
外海地域にはもう一カ所、キリシタンが信仰を続けた構成資産、大野集落があります。
大野集落の潜伏キリシタンは、集落内の3つの神社である大野神社、門かど神社、辻神社の氏子として振る舞いました。集落の門神社と辻神社に密かに信仰対象をまつり、オラショを唱えるなど、元からあった宗教と自らの信仰の場所を共有する信仰形態をとりました。
門神社では元からさまざまな神様がまつられていて、その中に潜伏キリシタンの信仰対象を密かに重ね、まつったと伝えられています。また、辻神社でも自然信仰にもとづく山の神様に信仰対象を重ね、密かに信仰していました。
キリスト教の解禁後、大野集落の潜伏キリシタンは出津教会堂へ通っていましたが、1893年にド・ロ神父によって集落の中心に大野教会堂が建てられました。
この教会堂は、赤土に石灰を混ぜた目地材と周辺でとれる玄武岩を用いた「ド・ロ壁」と呼ばれる独特の壁で作られています。
※教会堂内は立ち入り禁止です。

◆潜伏キリシタンが信仰を告白した
~大浦天主堂~
南山手町にある大浦天主堂は、潜伏キリシタンの「潜伏」が終わったことを示す構成資産です。
日本の開国に伴い、居留地の外国人のために宣教師が建てた大浦天主堂。
建立直前の1862年に、長崎で殉教した日本二十六聖人にささげられた教会であり、殉教地(現在の西坂公園)の方角を向いて建てられています。
天主堂完成直後の1865年には、長崎近郊の潜伏キリシタンが密かに大浦天主堂を訪れ、宣教師に信仰を告白。約2世紀を経て、信徒と宣教師が出会ったこの出来事は「信徒発見」と呼ばれています。
日本に信徒がいたことを発見したプティジャン神父は喜び、フランスとローマに報告したそうです。
ただ、この出来事はまだ日本でキリスト教が禁教だった頃に起こったため、当時信仰を表明した潜伏キリシタンには厳しい弾圧が加えられました。
しかし、諸外国の抗議を受け、明治政府が禁教令を解いたことによってキリスト教の禁教が終わります。
二度の増築の末、もとは木造だったものが煉瓦造りになって現在の天主堂になりました。内部の主要部には建立当初の面影も残されていて、現存する日本最古の教会建築として国宝にも認定されています。

◆信仰の強さを伝え続ける~大野教会 教会守~
大野教会 教会守 大串明さん
大野教会の教会守を務める大串さんは、大野集落に近い赤首町の出身。小さい頃から出津教会や大野教会に通い、ミサに参加してきました。現在は大野教会の教会守になり、教会の管理や訪れた人に教会の説明などを行っています。
大串さんは、「一人でも多くのかたに大野教会を訪れてほしい」と話します。世界遺産に登録されたときは、世界の人に大野集落のことや大野教会のことを知ってもらうきっかけになると喜んだそう。
訪れた人に説明をする中で、一番伝えたいのは、この地域の先祖が迫害という悲しい歴史を乗りこえ、どのように信仰を守ってきたのかということ。その先祖の意志の強さを感じてほしいと話します。
教会の中には入ることはできませんが、素朴ながらも力強く建っているさまは外観から十分に見てとれます。
ド・ロ神父が信徒たちと協力して造った、台風にも強い実用的で丈夫な大野教会。
大串さんにとって大野教会は「心のよりどころ」。これからも教会を守り、訪れた人に歴史や信仰について語り継いでいきたいと話していました。

◆教会巡りはマナーを守って
教会は「聖なる建物」で、信徒のかたの大切な祈りの場。そして「神の家」でもあります。
教会を訪れる際はマナーをしっかり守りましょう。
・堂内では帽子を脱ぐ
・堂内外では静かに見学する
・堂内では飲食、喫煙をしない
・堂内で撮影をしない
・酒気帯びで堂内に入らない
・柵内や内陣(祭壇域)、2階などには入らない
・堂内にある物(聖書などの私物)には触らない
今回ご紹介した出津教会堂・大野教会堂の見学は、事前に連絡が必要です。

◆長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター
構成資産のパンフレットももらえます!
【電話】823-7650(午前9時30分~午後5時30分)
住所:出島町1-1-205(出島ワーフ2階)

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