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伊那市長のたき火通信

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長野県伊那市

■伊那を訪れた山頭火
放浪漂泊の俳人山頭火の俳句に出会って50年ほどになります。中学生だったか高校生だったのか記憶は消え落ちていますが、通町の小林書店で手にした山頭火の本は、多少なりとも私のその後の人生に影響を与えてきました。
山頭火の本名は種田正一、明治15年、現在の山口県防府市に生まれました。酒造業を営む家庭に育つも、母の井戸への身投げ、父の放蕩、弟の自殺、家業の破産、家族の離散など失望を繰り返した青少年期を過ごしています。暗く陰惨な希望のない生活の後、山頭火は出家得度して仏の道を歩むことになります。全国を行乞行脚し、仏にすがり酒にすがり、俗世と悟りの境を行き来するような人生を繰り返していました。
「分け入っても分け入っても青い山」、「うしろ姿のしぐれてゆくか」、「鉄鉢のなかへも霰」、「どうしようもない私があるいている」、「まっすぐな道でさびしい」など、自由律の俳句が現在でも私たちを惹きつけます。
山頭火は昭和の初めに伊那を訪れています。敬慕してやまない「井上井月」の墓参りのため、昭和14年5月に伊那高等女学校(現・伊那弥生ヶ丘高校)の教師、前田若水を訪ね美篶の井月墓に行っています。「私は芭蕉や一茶のことはあまり考えない。いつも考えているのは路通や井月のことである」、井月全集を読み終わり、「よい本だった。今までに読んでいなければならない本だった。井月の墓は好きだ。書はほんとうにうまい」と、井月に寄せる心情を吐露しています。念願だった井月の墓参りをし、酒好きだった井月の墓の前で、「お墓したしくお酒をそそぐ」、「お墓撫でさすりつつ、はるばるまいりました」と詠んでいます。
井月の墓参りをした後、山頭火は権兵衛峠を越えて木曽奈良井へ出て、中央西線の汽車にのって山口に帰ります。5月5日のことです。墓参りをすませ、五月晴れの権兵衛街道を歩く山頭火は、きっと心も晴れやかだったに違いありません。「寝ころべば信濃の空のふかいかな」、「あの水この水の天竜となる水音」と詠んでいます。権兵衛トンネル手前のお蕎麦屋さんの駐車場に、この句碑が佇んでいます。山頭火は伊那を訪れた翌年、昭和15年に57才で亡くなっています。

伊那市長 白鳥考

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