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おたや祭り(2)

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長野県長和町

■山車紹介
◇甲賀三郎 龍になるの場(上中町第二場)
このおはなしは御代田町で毎年七月に行われている「竜神(りゅうじん)祭り」の基(もと)になっているおはなしです。
むかし、近江国(おうみのくに)(今の滋賀県)甲賀(こうが)郡に、鉄を原料とした鉄器類の鎧兜(よろいかぶと)や刀、鍬(くわ)などを造る甲賀家があり、太郎、次郎、三郎の三兄弟がおりました。三兄弟の中で三郎は末っ子ではありますが、鉄を扱う技術は誰よりも優れておりました。また大変勇気があり頼もしい若者であったので、甲賀家の後を継ぎ、春日(かすが)姫という美しい姫を妻に迎え幸せに暮らしておりました。そんな三郎を兄たちはうらやみ、姫をどこかへ連れ去ってしまいました。正直な三郎は兄たちの策略とは知らず、一緒に蓼科山まで姫を探しに行き、大穴の奥底に突き落とされてしまいました。
三郎は暗い大穴の中、何年も姫を探し続けました。やがて闇の先から光が見えたのです。急いでそこから出てみると、浅間山のふもと、御代田の里にある真楽寺(しんらくじ)の池でありました。池の水に自分の姿を写してみると、そこには龍になった自分の姿がありました。いつの間にか鉄の精を受け、その身を龍に姿を変えていたのです。龍となった三郎は大声で愛しい姫の名を呼び続けました。すると三郎の声に応える姫の声が聞こえ、出会うことができました。なんと、姫の体も三郎と同じように龍の身になっていたのです。ともに龍となった二人は仲睦(なかむつ)まじく諏訪湖に入り、龍神となったのでした。
龍神は湖の周辺にあるたくさんの鉄処を守っているそうです。

◇夜叉ヶ池(やしゃがいけ) 龍神(りゅうじん)の場(中町第三場)
福井県南越前町と岐阜県揖斐川(いびがわ)町との境界付近。標高約千百メートルの高所にあるのが夜叉ヶ池である。この池にまつわる伝説はいくつかあるが、その一つ。
「お前が雨を降らせたら、どんな願いもかなえよう」平安時代、美濃(みの)の国神戸(ごうど)(現在の岐阜県神戸町)の郡司(ぐんじ)だった安八太夫(あんぱちだゆう)は、日照りに悩まされる村人を救おうとお宮参りする際、田んぼで出会ったヘビにそうつぶやいた。すると、その後、雨が降り出し、田んぼはあっという間に水がたまり、村人も太夫も大喜び。
翌日、ヘビは山伏(やまぶし)に姿を変えて太夫の前に現れ、「私は揖斐川に住む龍神だ。そなたの願い確かに聞き届けた。私の願いはお前の娘を妻にもらうことだ」と告げた。太夫の三人の娘のうちの一人が申し出を受け入れ、揖斐川の上流に行ったという。心配した太夫はその後、揖斐川上流の奥の池に行くと、娘は龍神の妻となり、自らも龍に姿を変えて池に住んでいた…。
娘の名は夜叉姫。やがて池は「夜叉ヶ池」と呼ばれるようになった。まったく水が枯れない神秘的な池という。水の恵み、その大切さを胸に刻みつつ、龍神の場面を奉納いたします。

◇登竜門 鯉の滝登りの場(下町・藤見町第4場)
登竜門の由来は、中国の歴史書「後漢書(ごかんじょ)」の「李膺伝(りようでん)」です。
中国の黄河には「竜門」と呼ばれる激しい急流があり、「竜門を登ることができた鯉は竜になれる」という言い伝えがありました。この言い伝えを基に、李膺と呼ばれる官僚(かんりょう)に認められた若者が出世することを登竜門と呼んでいたとされています。
唐王朝(とうおうちょう)の時代には、官僚登用のために行う厳しい試験「科挙(かきょ)」(注)に合格することを登竜門と呼ぶようになり、出世の糸口を意味するようになりました。
本来は「出世や成功につながる関門を通ること」を意味する言葉でしたが、現在では「関門そのもの」を指す言葉として広く使われています。

(注)科挙とは、過去の中国における高級官僚を登用するための試験制度。ペーパーテストの成績さえよければ、家柄や出自に関係なく高級官僚として登用される画期的な制度で、受験者は記憶力を鍛え、広範な知識を身につけることが求められました。日本の大学入試や公務員試験にも影響を与えた歴史的な制度です。娘の名は夜叉姫。やがて池は「夜叉ヶ池」と呼ばれるようになった。まったく水が枯れない神秘的な池という。水の恵み、その大切さを胸に刻みつつ、龍神の場面を奉納いたします。

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