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〔特集〕「農」と歩む〜未来を担う若手農業者の思い〜(1)

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長野県高森町

農業の担い手不足が社会的にも深刻化し、高森町でも農家の高齢化や農業人口の減少は大きな課題となっています。そうした中、高森町に住む20代〜40代の若手農業者により結成されているのが「農業青年経営者連絡協議会」です。皆で交流し、力を合わせながら農業の発展を目指して活動しています。若手農業者はどのような思いで「農」に取り組んでいるのでしょうか。協議会のメンバーでもあるお二人にインタビューしました。

■01 瀧川(たきかわ)睦(むつみ)さん(39)
昭和59年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋市の大学を卒業後、一般企業で働いていたが、20代後半のとき「農家になりたい」と一念発起。会社を辞め、オーストラリアで1年間ワーキングホリデーを経験したのち、農家での研修などを経て、平成28年長野県の「里親研修制度」を利用して高森町へ移住。令和元年に新規就農。

◇農業への憧れを原動力にゼロからのスタート
平成28年に愛知県名古屋市から高森町へ移住し、新規就農した瀧川睦さん。現在は上市田に拓いたブドウ畑でナガノパープル、クイーンルージュ、シャインマスカットを栽培し、春は花卉(かき)栽培、冬は市田柿作りにも取り組んでいます。就農5年目を迎えた瀧川さんに、農家を志したきっかけや農業への思いなど話を聞きました。

―農家を志したきっかけは?
大学卒業後、地元の会社に就職して営業事務の仕事をしていました。その時、よく通っていた飲み屋さんで「夢は?」と聞かれて、勢いで「農家の嫁になる!」と答えたんです。その時は冗談のつもりでしたが、後になって「勢いとはいえ、どうして農家って言ったんだろう」と自分の心を掘り下げていったところ「私、農業に憧れているかも」と気が付いたんです。

―なぜ農業に憧れていたんでしょうか?
高校生、大学生のころは環境問題に興味があり「農業が環境を良くする」と考えていたので、それが理由かもしれません。でも難しいことを言っているうちは結局、動けないんですよね。「環境とかはいいからとにかく農業をやりたい!」と思ってからの方が行動は早かったです。仕事が休みの日に名古屋市主催の農業ボランティア講習会へ行き、ブドウ農家へお手伝いにも行きました。会社を辞めたのは歳の時です。

―辞めた後、海外へ行かれたそうですね。
とにかく「行動する自分」になりたくて。ワーキングホリデーで1年間、オーストラリアへ行き、ファームで仕事をする代わりに食事と宿泊場所を提供してもらうWWOOF(ウーフ)に参加してワイナリーや有機農家を支援するグループなどで働きました。帰国後、就農に向けて動き始めたのは30歳の時です。

―農家になるため、まず何をしましたか?
愛知県や佐久市の農家へ研修に行きました。有機農業にも興味があったのですが、研修先で作業をするうちに「自分に野菜の栽培は向いていないな」と気がついて。同時にいろいろなことをするのが難しいんですよね…。でも、自分の苦手なことが理解できたのも良い経験になりました。

ー高森町へ移住したきっかけは?
熱い思いを持って長野県へ移住した…と言えたらいいのですがそうではなく、趣味で知り合った方がたまたま高森の方で、最初は市田柿のアルバイトのためにここへ来ました。ちょうどブドウの収穫期で、手伝いを頼まれて作業をしている間に「そういえば、前に農業ボランティアでブドウ畑のお手伝いをした時は楽しかったな」と思い出して「ブドウ栽培、好きかも」と。その方が里親になってくれて、県の里親研修制度を利用して移住しました。

―実家を離れるということで、親御さんは心配しませんでしたか?
「やりたいことをやりなさい」と私の決断を面白がってくれました。心の中では心配していたかもしれないけれど、明るく送り出してくれたのでありがたいなと思います。

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