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自治体の皆さまへ

市政羅針盤(らしんばん)

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静岡県島田市

染谷絹代(そめやきぬよ)市長が自ら、市政運営の方針を分かりやすくお伝えします。
今月のテーマ:築城450年を迎える諏訪原城(すわはらじょう)の成り立ちと記念イベント

■家康公ゆかりの山城
皆さんは、日本でも有数の山城(やまじろ)が金谷にあることをご存じでしょうか。戦国最強の武将・武田信玄(しんげん)の息子、勝頼(かつより)と徳川家康の国取りの舞台となった「諏訪原城跡」です。天正元(1573)年に武田勝頼が築城し、天正3(1575)年に家康によって攻め落とされた諏訪原城は、日本最大級の「丸馬出(まるうまだし)」と呼ばれる城の防御施設を備え、当時の激しい戦いの様子を彷彿(ほうふつ)とさせる光景を今も色濃く残しています。今年は、築城から450年という節目の年にあたり、諏訪原城に関連したイベントを3つほど企画しました。そのご案内とともに、この山城の歴史や特徴について振り返ってみたいと思います。

■武将の目に止まった立地の良さ
諏訪原城跡は、1975年に国指定の文化財(史跡)に指定され、2017年には公益財団法人「日本城郭(じょうかく)協会」から「続日本100名城」に選定された歴史的価値の高い山城です。日本史を語る上で欠かせない戦国大名・徳川家康を主人公としたNHK大河ドラマ「どうする家康」の放送をきっかけに、戦乱の世に天下統一を果たした家康の物語に再び注目が集まり、全国から多くの城マニアが訪れています。
諏訪原城について、専門家は「戦(いくさ)をする上でまたとない条件がそろった城」と口をそろえます。牧之原台地の先端に位置することで大手(表側)は平坦ですが、「本曲輪(ほんくるわ)」東側が断崖絶壁になっていて、城の眼下を大井川が流れる典型的な“後ろ堅固”の城でした。また、主要街道・東海道が城域内を通過し、東西交通の要衝の地であったこと、高台にあり、東海道や大井川から攻め入る敵の動向を把握しやすかったこと、駿河と遠江(とおとうみ)の国境地点に位置していたことなど、多数の地の利に武将たちは目を付けたと思います。

■諏訪原城の歴史と見どころ
この城は、駿河から徳川領の遠江へと侵攻を試みた武田勝頼が、家臣の馬場(ばば)(美濃守(みののかみ))信春(のぶはる)に命じて、駿遠の国境に遠江侵攻の拠点として築き上げました。城内に戦の神、勝利の神として多くの武将の信仰を受けてきた「諏訪大明神」を祭ったことから諏訪原城と名付けられ、現在も「諏訪神社」が城内に残っています。
徳川家康は、天正3(1575)年の「長篠(ながしの)の合戦」と同じ年に諏訪原城を奪取。間もなく「牧野(まきの)城」として改修しました。市が2009年~2015年に実施した発掘調査によると、「武田流築城術」が顕著に表れた城でありながら、現在残る遺構の多くは、徳川家康によって改修された可能性が高いことが明らかになっています。
高台の断崖上に位置する「本曲輪」も見どころの一つです。大井川をはじめ、島田市や藤枝市の市街地が眼下に広がる絶景スポットで、改めて諏訪原城が“後ろ堅固”の城を絵に描いたような立地に建てられたことを実感できる場所です。天気が良ければ富士山を一望でき、1時間足らずで城跡を一周できますので、ぜひ山城初心者の方も気軽にお越しいただければと思います。

■築城450年記念事業
諏訪原城築城450年の今年、市では、三つの記念事業を計画しています。一つ目は、諏訪原城の歴史を紹介する博物館での企画展「築城450 年記念 諏訪原城」(7月1日~9月24日)。二つ目は、「武田・徳川両軍に分かれて楽しめる春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた)氏を隊長とした諏訪原城応援隊による合戦イベント」(7月31日)。三つ目は、戦国時代史研究の第一人者で、歴史学者の小和田哲男(おわだてつお)氏を講師にお迎えしての「記念シンポジウム」(12月10日)です。
中でも、記念シンポジウムは、諏訪原城跡整備委員会委員長でもあり「どうする家康」の時代考証を担っている小和田哲男氏と、同委員会副委員長で同番組の建築考証を行っている三浦正幸(みうらまさゆき)氏の基調講演を予定しており、家康と諏訪原城の関わりが聴ける貴重な機会になると思います。
諏訪原城ビジターセンターには、城の歴史や構造、年表、推定復元図、ジオラマ模型などが展示され、御城印(ごじょういん)も販売しておりますので、併せてご来館ください。

問合せ:
博物館【電話】36-7967
秘書課【電話】36-7117

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