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森町の歴史~歴史民俗資料館だより~

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静岡県森町

■第一話 徳川家康ゆかりの鋳物師・山田七郎左衛門(その一)
森町は、太田川を中心とした自然に恵まれた豊かな土地として栄え、信州街道(塩の道、秋葉街道)の山への出入り口として、山のもの、海のものが集まりました。特に山(森)の恵みは重要です。山は木を生み、雨を集めて川を生みます。太田川は、船で人や物資を運ぶ水運の役割も果たしました。そして木は火を生み、火は鉄を生み出します。
金属の加工は、鉄などを高温で熱するため莫大な燃料を必要とします。石油も電気もない時代、燃料は山からの恵みである炭や薪でした。森町はその燃料が集まる場所であり、古くから金属加工業(鍛冶、鋳造※)が盛んでした。鍛治島では古より砂鉄が採れたといわれ、鍛冶師が居住していました。国の重要文化財である友田家住宅の友田家も鍛冶師であったとされています。また、森町は陸運水運の拠点であったため、金属加工品の商売が成り立ち、町場としても発展していきました。
古来、森山(三島神社)の麓に鋳物師たちが居住し、中世におけるその代表格は、山田七郎左衛門家でした。山田七郎左衛門は、徳川家康の戦に従軍するなど家康を助け、天正15年(1587)に「駿遠両国鋳物師惣大工職」の朱印状を与えられました。以後、江戸時代の終わりまで山田家は、遠江と駿河の鋳物師の総取締役を代々務めました。つづく。

※鍛冶は鉄などを熱して叩き、鋳造は融かした金属を鋳型に流し込む技術。

問い合わせ先:教育委員会社会教育課文化振興係
【電話】85-1114

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