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森町の歴史~歴史民俗資料館だより~

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静岡県森町

■第二話 徳川家康ゆかりの鋳物師・山田七郎左衛門(その二)
[広報もりまち令和5年6月号「森町の歴史・第一話」からのつづき]
古来森町は、火防(ひぶせ)の神様を祀(まつ)る秋葉山へ通じる秋葉街道、さらに信州へと続く信州街道(塩の道)の山への出入り口であり、太田川の水運が使えたため、物資の集散地となりました。そして、燃料である炭や薪が集まったため、鍛冶、鋳造(ちゅうぞう)が盛んでした。
森町の鋳物師・山田七郎左衛門は、徳川家康の大筒の弾(たま)を鋳造したり、戦に従軍するなど家康を助け、天正15年(1587)に「駿遠両国鋳物師惣大工職(すんえんりょうこくいもじそうだいくしき)」の朱印状を与えられました。この朱印状は大きな力を持ち、駿遠で鋳造・鍋釜(なべかま)販売を行う際は山田家の許可が必要で、山田家は岡野家らと支配体制を強化していきました。森町村(森町中心街)は、茶や古着などの商売の町、秋葉街道の宿場町のみならず、手工業の町でもあったのです。そして、これら産業と生活の礎である火への感謝と火事に対する恐れが、火を自在に操る秋葉権現への信仰となり、秋葉街道の道すがらの村々に秋葉常夜灯が建てられました。
江戸時代、秋葉山は殊(こと)に江戸からの信仰を集め、「秋葉原」の語源になったほどでした。人々は東海道を下り掛川宿から森町経由で秋葉山を目指しました。当時の様子を伝える俗謡に「森の仲町なぜ日が照らぬ秋葉道者(あきはどうしゃ)の笠のかげ」とあり、旅人の笠の陰で道に日が当たらないほどでした。それほど森町が賑わったのは、家康の御用鋳物師(火を操る職業)・山田家の本拠地であったことも関係していたのかもしれません。なぜならば、森町村が商売の町として更に世に知られるようになったのは、家康が森市場禁制を出したからです。つづく。

問い合わせ先:教育委員会社会教育課文化振興係
【電話】85-1114

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