文字サイズ
自治体の皆さまへ

【特集】変わり続ける志布志港(1)

5/52

鹿児島県 志布志市

南九州地域の「海の玄関口」、「国内外物流拠点」として、発展・機能している志布志港。
海には大小さまざまな船が行き交い、さまざまなものが運ばれ、多くの人々が船旅を楽しんでいます。
港内には、大きな工場が立ち並び、配合飼料が製造され、南九州地域へ運ばれています。
他にも生活に必要な物資が港から入り、丹精込めてつくった品物が港を通して日本全国、はたまた世界各国へと運ばれています。
令和4年には、クルーズ船「にっぽん丸」が志布志港に寄港し、多くの方々が県内各所や市内観光名所を巡り、特産品も堪能いただきました。

また、東九州自動車道などの高速道路も相次いで開通したことで、志布志市へのアクセスも格段に向上し、多くの企業からの注目を浴び、志布志市内への企業進出も進んでいます。
「もの」「ひと」「しごと」が集まる志布志港。志布志港はその時代ごとに求められる姿に、変化しています。
今回は、変わり続ける志布志港を紹介していきます。

■変わりゆく志布志港の歴史
▽平安時代~江戸時代
平安末期に開かれた島津荘の唯一の水門(港)として、都との文化交流および物資運搬の役割を果たす。
海上交易が盛んになった江戸時代には、内外交易でひらけ、「志布志千軒の町」とうたわれるほどの町並みを形成し、活況を呈す。

▽明治時代~昭和
1911年(明治44年)に鹿児島県が港の調査に着手、1919年(大正8年)より整備が始まり、1931年(昭和6年)に本港地区が完成。
1969年(昭和44年)重要港湾として指定。
1972年(昭和47年)~1974年(昭和49年)外港地区第1突堤・第2突堤の整備に着手。
1976年(昭和51年)外港地区第1突堤完成。
1980年(昭和55年)外港地区第2突堤完成。

▽昭和~平成~現在
1980年(昭和55年)若浜地区埋立工事着手。
1985年(昭和60年)若浜地区埋立工事完成。
1987年(昭和62年)開港指定を受け、本格的に海外貿易を開始。
1997年(平成9年)新若浜地区整備着手。
2007年(平成19年)新若浜地区完成。
2009年(平成21年)新若浜地区国際コンテナターミナル供用開始。
2011年(平成23年)国際バルク戦略港湾(穀物)選定。
2017年(平成29年)
国際コンテナターミナル岸壁部80m延伸に着手。
国際バルク戦略港湾(穀物)としての整備に着手。
2022年(令和4年)国際コンテナターミナル延伸部分供用開始。

■海上物流機能の変化
▽国際コンテナターミナル岸壁部80m延伸
新若浜地区の国際コンテナターミナルでは、コンテナによる貨物の輸送(輸出・輸入など)が行われており、その取扱量は年々増加しています。
また、就航する航路便数の増加や使用船舶の大型化が進んでおり、中国航路と韓国航路の大型船が同時に就航する日は2隻同時に接岸することが出来ず、沖合での待合が発生していました。
この状況を解消するため、既存の岸壁を80m伸ばすことで2隻同時の接岸が可能となり、港湾物流機能の強化が図られています。
(2022年1月より供用開始)

▽小口貨物混載輸出サービス・産直港湾「志布志港」
志布志港からの農林水産物・食品の輸出促進を図るため、令和4年5月より小口貨物混載輸出サービスが開始されたことで、少量の貨物であっても海外輸出が可能となりました。
このサービスにより常温貨物は世界180カ国、冷凍・冷蔵貨物は香港・シンガポール・台湾への輸出が可能となっています。
令和5年5月には、国土交通省から全国で3港目となる産直港湾として「志布志港農林水産物・食品輸出促進計画」の認定を受けました。
今後は、国際コンテナターミナル内の公共上屋の機能強化(冷凍・冷蔵施設などの整備)を行い、農林水産物・食品のさらなる輸出促進を図ります。

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU