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いぶすきまるごと博物館 vol.203

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鹿児島県 指宿市

■市指定史跡・有形文化財「鳥越堀切(ととりごえきり)」と「決湖碑(けっこひ)」
池田湖には現在6つの河川がつながっています。その中の一つ池田湖南側の「新川」のみが流出河川で、宮田川と合流して川尻漁港へと注いでいます。実はこの「新川」は江戸時代から明治時代にかけて行われた大工事によって造られたものなのです。
工事は、第十一代藩主島津斉彬(しまづなりあきら)が二月田温泉(現殿様湯跡)に滞在中、指宿は水利に乏しく田んぼが少ないため池田湖の水をかんがいに利用しようと考案したことから始まります。斉彬は、工事を郡奉行に命じましたが、郡奉行は、水神のたたりがあるとして恐れました。それを聞いた斉彬は、神は民に幸を与えるものであると説き、速やかに工事を行うことを命じました。こうして池田湖の壁を約20メートル掘削し開聞の仙田方面に水を引く鳥越掘削工事が安政4年(1857)に始まりました。
翌年、斉彬の逝去と明治維新によって工事は一時中断しましたが、明治5年(1872)に県令大山綱良(おおやまつなよし)が再開します。工事には串木野鉱山の労働者たちも動員され、莫大(ばくだい)な工事費と延べ11万人余りの作業員を費やす難工事でしたが、明治9年(1876)、ついに「鳥越堀切」は完成しました。この工事によって池田湖は海へ流れ出る河川と初めてつながり、開聞仙田に新田が造成されたことを記念して「決湖碑」が同年に建てられました。この碑文には難工事であったことや池田湖の湖面が下がったこと、新たな耕作地として水田や桑田を開墾したこと、当時の役人の名前などが刻まれています。
「鳥越堀切」と「決湖碑」は江戸時代から明治時代にかけての「近代化遺産」の一つとして価値が見いだされ、平成25年3月、市の指定文化財に指定されました。開聞の水田開発を切り開いた「鳥越堀切」。先人たちの苦労と努力がしのばれる文化財です。

問合せ:生涯学習課文化財係
【電話】23-5100

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