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市長独言 No. 75…西郷隆盛と国道58号

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鹿児島県西之表市

陸軍大将の軍服を着る西郷隆盛(1828〜77)像が立っているのは鹿児島市山下町、国道58号の起点です。58号はここから鹿児島港に至り、海路種子島、奄美大島を経て沖縄本島まで延長850キロ。このうち種子島、奄美大島の区間は来年の2024年に国道制定50周年を迎えます。
西郷像は1937(昭和12)年の完成です。西南戦争での西郷の没後50年を記念して、「忠犬ハチ公」の作者である鹿児島市出身の彫刻家安藤照(1892〜1945)が8年間をかけて制作したそうです。
国道58号は、沖縄が日本に復帰した1972(昭和47)年に制定されました。陸上区間は当初、鹿児島市内と沖縄県国頭村から那覇市の明治橋まででした。種子島、奄美大島の区間が加わるのは2年後です。
海上区間は計610キロ。島々の連なる海には度々、暫定国境線が引かれました。まず、敗戦国日本が占領下に置かれた1945(昭和20)年、北緯三〇度線より北にある旧十島村の上3島(竹島・硫黄島・黒島、現三島村)が鹿児島県に編入され、分離された南の7島(現十島村)と奄美、琉球の島々が米軍政下に置かれました。
1952年4月、サンフランシスコ平和条約によって日本が独立を得た後、同年12月、北緯二九度線以北の7島が日本に復帰します。次いで北緯二七度線以北の奄美諸島が53年12月に返還され、今年は復帰70周年にあたります。
西郷は、奄美大島、徳之島、沖永良部島に潜居や遠島で過ごしたことがあります。薩英戦争のころ、親類に送った手紙で「獄中の御蔭」で学問が進んでいるなどと書き安心させました。西南戦争で最期の地となった城山を背に立つ西郷像を仰ぎ見ると、明治維新後の日本の行く末を憂えた偉人は「戦死者に対して面目ないことをしなさんな」と諭しているように思います。

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