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市長独言 No.76…横山盆踊と城下町

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鹿児島県西之表市

7月、横山神社の盆踊りを訪ねました。コロナ禍の影響で4年ぶりの開催となり、「初めて見学に来ました」という若い親子連れらでにぎわいました。
本番前に「電子紙芝居」があり、島津藩の家老だった比志島国隆と阿久根千代女の物語を披露しました。国隆は1628寛永5)年、種子島に流罪となり横山に幽閉されます。阿久根の地頭を務めた縁で結ばれた千代女が後を追うようにして小舟で島に渡り、再会しました。しかし、国隆が藩命によって死罪となり、千代女は殉死します。約四百年前の悲話は、千代女を哀れむ島人によって盆踊りに歌いこまれ、伝承されてきました。
この日、薄暮の境内に踊り手がカネと太鼓、歌い手の声で入場しました。七夕竿を持って「チョウ」と言う役(弔、蝶)がいて、1曲終わる度に円陣を3回駆け回り、「ヤガテー」と叫ぶと次の踊りが始まります。6曲が次々に演じられる間、空気は終始しめやかです。
この横山盆踊は2017(平成29)年、国の無形文化財に指定されました。今年3月刊行の「種子島の盆踊調査報告書」は、横山神社と西之本国寺(南種子町)を中心に各地の盆踊りを記録しています。
報告書によると、奈良の都ができた710(和銅3)年のころ、多褹嶋(たねのとう)が設置されました。「嶋」とは国と同等の行政単位で、多褹嶋という国は種子島だけでなく屋久島を含みました。嶋庁が種子島のどこに置かれたかは不明です。八坂神社の前身である慈遠寺が、嶋分寺(国分寺)だったかもしれないといわれます。
横山盆踊は赤尾木城下の寺でも踊られたようです。かつて西町の八坂神社境内の夏祭りで、老若男女が、やぐらの周囲をにぎやかに踊っていましたが、死者をしのぶ盆踊りは本来、現在の横山のような形だったのでしょう。盆踊りの歴史には奥深いものがあります。

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