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【人の風景】霧島に生きる Vol.182

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鹿児島県霧島市

■ついに巡り合った終(つい)の棲家(すみか)
藤原 綾さん(45)
東京都出身。大手生命保険会社を経て出版社に転職。その後フリーライターとして独立し、令和3年、霧島永水に移住。自宅横の畑で家庭菜園にも挑戦中。すでに市内の30湯以上は巡ったという大の温泉愛好家。

(著書紹介)
女フリーランス・バツイチ・子なし
42歳からのシングル移住
著者 藤原 綾/出版社 集英社

東京で生まれ育った女性が移住を思い立った経緯や、移住先となった霧島での暮らしぶりをつづった『女フリーランス・バツイチ・子なし42歳からのシングル移住』。著者は幅広い分野で編集者・ライターとして活躍する、藤原綾さん(45)です。出版社のウェブサイトで連載してきたエッセーが、今年2月に書籍化。移住先に選んだ霧島永水での暮らしを満喫しながら、現在はフリーのライターとして活動しています。今も月に1週間程度、仕事で東京に行く機会があり「できることなら行きたくない。それほどここでの暮らしが好きになった」と、今の生活の充足感を口にします。
藤原さんが移住を考えるきっかけとなったのは父親の死。すでに母親を亡くしていた藤原さんは、地域住民同士の支え合いが残っているまちで暮らしたいという思いから、移住を決意します。
旅行でよく訪れた長野県なども候補に考えましたが、移住先の条件の一つとして外せなかったのが、大好きな温泉があること。特にお気に入りの硫黄泉があるまちを中心に探し、祖母の出身地である鹿児島県、そして霧島市へとたどり着きます。
田舎に移住することへの不安について、「地元の人に受け入れてもらえるかなという不安は当然ありましたが、幸い外から入ってくる人間に対する抵抗感がそれほど強くなかったので助かりました」と藤原さんは振り返ります。地域の人たちと仲良くなったきっかけの一つが、自宅のすぐ近くにあるながみず百笑館。「東京では見かけない野菜や野草茶などが気に入って、何度も通ううちに少しずつ地域の人の輪に溶け込めるようになりました。そこで出会った方は、今では母親と慕うほど大切な存在です」とほほ笑みます。月に1回ほど百笑館の手伝いをしており、今では来館者を温かく迎える永水の住人の一人です。
生まれも育ちも東京で、生粋の都会人だった藤原さん。「今、東京での楽しみは友人に会うことぐらい。最近特に感じるのは人口の急増や驚くほどの物価高騰。東京はいつか崩壊すると指摘する人もいて、地方に移住する人たちも増えているそうです。私はいち早く霧島に脱出したので、そういう意味では流行の最先端を生きていると自負しています」と冗談交じりに話します。「高齢化や若い人の流出など不安な面はありますが、今の生活に全く不満はありません。地域のつながりや豊かな農産物など、今の暮らしを持続させるために、何ができるだろうかと真剣に考えています」と話す藤原さん。最後にエッセーの続編はと尋ねると「まだ分かりませんね」と笑顔で答えてくれましたが、永水での物語はこれからも長く紡がれていきそうです。

※書籍化のきっかけとなった、集英社のウェブメディア「よみタイ」に、令和3年7月から1年間連載。移住を思い立った経緯や移住先、物件探しなどを現在進行形で書かれたエッセーの一部を読むことができます。
(QRコードは本紙PDF版15ページ参照)

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