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特集 昭和28年水害から70年未来へ伝える大切さ(2)

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京都府久御山町

▼あの日の記憶、未来へ伝える大切さ
昭和28年の台風13号がもたらした水害から今年で70年の節目を迎えます。「あの日の記憶」を未来へ伝えていくために、当時16歳で水害を経験した奥田富和さん(佐山)と大塚イツ(坊之池)さんのお2人と信貴康孝町長が対談しました。
当時の経験や感じたこと、そして、これからの世代に伝えたいことを語りました。
この対談は、9月25日(月)の午後6時~8時にFMうじ放送で特別番組として放送します(9月30日(土)の午前11時~午後1時に再放送あり)。

▽消防団員で見守りに
〈奥田さん〉
当時は16歳で、消防団に入って、5か月くらいでした。とにかく集合しろと幹部からの指令があり、危険箇所のチェックに回っていました。木津川が増水し、流木が流れている、その光景が今でも目に浮かびます。
午後11時ごろに伝令が来て、「宇治川左岸が決壊した」と連絡が入り、夜が明けるまで木津川の堤防にいました。夜が明けるにつれて、空が白んできて、水位が若干下がった気がしました。北を見ると、普段は畑や田ばかりですが、さざ波で白い波が南に押し寄せてくるのが、はっきりと見えました。あの光景は今でも忘れません。

▽窓が割れるような豪雨
〈大塚さん〉
当時は京都女子高等学校の1年生でした。当日、教室の窓際に座っていましたが、ガラスが割れるくらいの豪雨が降ってきました。先生に「京都は大丈夫」と言われたので、課程を終えるまで学校にいました。家に帰ると、家の周りがバケツをひっくり返したような雨で大変なことになっていて、どうやって家に入ろうかと思うくらいの雨だったのを覚えています。

▽古老の経験が頼りに
〈奥田さん〉
あの時、頼りになったのは、古老の経験でした。「木津川が切れたら家もどうなるかわからない。今回は、裏切れ(宇治川が切れた)だから助かった」という言葉を覚えています。裏切れのときは、佐山は床上までは浸水しないと言い伝えられており、畳の上までは水はこないだろうと言われていました。本当にその通りになりました。

▽自宅の2階に避難
〈大塚さん〉
祖父が「これだけの雨なら堤防が切れるかもしれない」と言い、避難することを考えました。叔母が一いもあらい口に嫁いでいましたので、一口に逃げようとしましたが、宇治川の切れる場所によっては一口も危ないかもしれないということで、一口には行かず自宅の2階に避難し、身を守りました。目の前が見えない量の雨が降っていたあの景色は忘れることはありません。

▽牛と一緒に避難
〈奥田さん〉
農業に加えて、酪農もしていたので、牛を避難させなければなりませんでした。「佐山の人間は大久保方面に逃げろ」という言い伝えがあったので、3頭の牛を連れ、大久保小学校に逃げました。
地域の子どもやお年寄りは、近所で声を掛け合って避難していました。近所で協力体制がありました。

▽野菜・米は全滅
〈大塚さん〉
坊之池は土地が低く、被害も大きいものでした。家が農家だったので、野菜の根は全部腐り、米も倒れ、その年は何も収穫できませんでした。水は高い所から低いところへ流れてくるので、御牧地区に汚水が流れ込み、畳に汚水が染み込み、匂いもひどいものでした。井戸水も汚水のせいで使えなくなり、苦労しました。

▽復旧まで1か月
〈奥田さん〉
一段落したら、家の片付けや近所の家の手伝いに行っていました。佐山は土地が高く、床下浸水でしたが、それでも畳を入れて落ち着けるまで1か月ほどかかりました。

▽水は本当に怖い
〈大塚さん〉
水というものは、本当に怖いものだということを伝えていきたいです。水害を経験していない若い世代の人は、あまり話を聞いてくれません。どうすれば、伝わるかと考えています。あの経験だけは、絶対に忘れることはできません。少しでも水の怖さを伝えていきたいと思っています。

▽絆の大切さ
〈信貴町長〉
久御山町と水との闘いは地勢上、永遠の課題です。水害対策は、ハード面とソフト面の両方が大切です。木津川・宇治川の氾濫対策については、京都府や国土交通省と連携し、ハード面の強化をこれまでから行ってきました。内水対策としては、佐山排水機場のポンプ更新や中央公園グラウンド下への約6千トンの調整池の整備を進めるなどハード面の強化を進めています。しかし、それに加えて、地域のコミュニティ「絆」というソフト面が非常に重要です。今年は水害から70年の節目ということで、総合防災訓練を行い、自助共助の大切さ、人と人との絆の大切さを訴えていきたいと思っています。

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