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自治体の皆さまへ

《特集》認知症は自分事(2)

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佐賀県伊万里市

■認知症の人の介護を経験している人の声に耳を傾ける
認知症の人の介護を経験している当事者同士で、近況や想いを語り合う場に『伊万里地区認知症の人とその家族の会(通称:ひまわり会)』があります。
ここでは、ひまわり会会員に介護の経験を通して感じたことを伺いました。経験談を自分のこととして置き換えながら読み進めてみてください。

■エピソード1
母と夫の介護を経験。認知症の母が他界した2年後、夫に違和感を感じました

◆誰かに相談しようとは思わなかった
▽違和感の始まり
「何かおかしい」と思うようになったのは、夫が80歳のときでした。あれっどうしたのだろうと思うようなことがあったり、言ったことをよく忘れたりといったことがありました。
夫に指摘をしてみても、夫は冗談を言ってはぐらかしていて、私も夫が以前に頭の手術をしたから、その影響だろうと思っていました。また、義妹から「兄さんの様子がおかしい」と言われたことがありましたが、あまり気にしていませんでした。

▽認知症と診断されたが
それでも義妹から受診を勧められ病院に行ったところ『認知症』と診断されました。私は母の介護を経験していますし、夫が認知症になっても誰かに相談しようとは思わず「誰にも迷惑をかけなければ大丈夫」だと思っていました。

◆認知症によるものだとわかっていても、夫の行動に何度も怒ってしまっていた
▽悩みは『介護認定』
夫はよく一人で出歩いてしまい、私は急いで追いかけていました。警察に捜索願を出したこともあります。夫に出て行った理由を尋ねると「家に帰ろうと思った」と言うんです。そんな夫の行動を、認知症によるものだと理解していても「また」、「なんで」と何度も怒っていました。
そんな中で『介護認定』をいつ受けようかと悩んでいました。認定を受ければ介護サービスが受けられますが、まだひとりで介護したい気持ちが強かったからです。しかし、ある日のこと夫がグラウンドゴルフをしている場で、人の財布をじっと見ていたとの連絡を受けたときはショックでした。このままでは皆さんに迷惑をかけてしまうと、悩んだ末に『介護認定』を受けることに決めました。

◆限界に達したため施設に入所させるも、夫を想うと辛くて悲しくてやりきれなかった
▽限界に達し施設へ
一番大変だったのは私が骨折したときです。私は今までのような介護ができなくなりましたが、夫は体は元気なので、毎日が必死でしたね。そのような状況が続き、私の体が限界に達し、夫を施設に入所させることを決めました。

▽やりきれない気持ち
夫が入所してからは毎週、面会に行きました。でも、夫は私に会うと私のバッグを持って家に帰ろうとするんです。そんなときは、職員さんに協力してもらい逃げるようにして帰っていました。暴れる夫を背にし、私はやりきれない気持ちでいっぱいでした。

◆周囲に相談するのは難しく勇気がいることだが、隠さないことが大事
▽隠すことではない
夫が施設に入所してからは、もっと自分が頑張っておけばよかったと罪悪感しかありませんでした。夫を想うと辛く、悲しかったです。
近所の人には私から「夫が認知症」だとは言いませんでした。でも、隠すこともしていなかったので、皆さん気づいていたと思います。認知症のことを周囲に相談するのは「恥ずかしい」、「いつ話せばいいのか」と、さまざまな理由から難しいことですが、隠さないことで周囲からさりげない手助けを受けることができます。家族も地域の人も認知症を正しく理解し、受け入れることで、うまく向き合っていけるのではないかと思います。

▽夫のおかげだと感謝
夫は4年前に他界しましたが、私は夫のおかげで今の自分があると思っています。2人でいろいろな場所を旅行し、よく一緒に散歩するなどして、楽しかった思い出ばかりです。「夫に出会えてよかった。夫のおかげでいい人生を送れている」と感謝しています。

※オレンジリングとは、認知症を支援する目印のリストバンドのことです。認知症サポーターとは、認知症について正しく理解し、認知症の人や家族を温かく見守る人のことです。(詳細は本紙をご覧ください。)

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