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自治体の皆さまへ

360年の生命(いのち)を紡いで(2)

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埼玉県三芳町

■守り、伝えて360年―。
先人から受け継いだ屋敷、畑地、ヤマ(平地林)、そして落ち葉堆肥農法をこれからも。

江戸(東京)の急激な人口増加と食糧需要に応えるため、開拓の鍬が入った武蔵野地域。栄養分が少ない、水に乏しいなど、農業に適さない土地で作物を育てるために始まった「落ち葉堆肥農法」は、この土地で何世代もにわたって守り、支えられて現在も続いています。

◆三富落ち葉野菜研究グループ
「落ち葉堆肥はこの土地の土づくりに欠かせない。この農法がずっと続いてきた理由はこれに尽きるのでは」。そう語るのは代々落ち葉堆肥農法を行う農家の10代目、島田喜昭さん。
高度経済成長後に減少していった三芳のヤマ。それに伴って少なくなっていった落ち葉堆肥農法を目の当たりにし、「落ち葉堆肥農法を次世代に伝えたい」と、平成10年に上富の6軒の農家と「三富落ち葉野菜研究グループ(以下落ち葉研)」を立ち上げました。

「畑一反にヤマ一反」

◆守り、伝える
「畑一反にヤマ一反」。畑に必要な堆肥の量を示す言葉です。落ち葉堆肥農法で多くの落ち葉が必要なことが窺えますが、農家だけで広大なヤマの落ち葉を掃き集めるのは大変な作業。そこで落ち葉研が始めたのは、住民参加の落ち葉掃きでした。
参加者は伝統農法を体験して学びを得られ、落ち葉研は落ち葉掃きを大人数で早く終えられる。農法を守りながら魅力を伝える、25年続く落ち葉研の恒例イベントです。
2月に行った落ち葉掃きは熊手が足りなくなるほどの満員御礼。「自然を発見する機会になって楽しく、学びにもなった」と言う参加者。島田さんも「参加者から感想を聞いたりする交流が楽しみなんです」と笑顔で話します。三芳伝統の落ち葉堆肥農法は、農家と住民が楽しみながら共に守り支えています。

◆先人のおかげで
落ち葉研のメンバーにとっては幼いころからあたり前の風景だった落ち葉堆肥農法。「あたり前の風景だったからなくなったら寂しい、やっていきたいと思ったんです」と話す島田さん。そう思わせてくれたのは、伝統農法を伝え続けてきた先人達のたゆまぬ努力でした。
「GIAHS(世界農業遺産)認定は、落ち葉堆肥農法をこの土地で『あたり前』になるまで先人たちがやってきたおかげ」と祖先に感謝する島田さん。この先について、こう話します。「やることはこれまでと同じ。農法を守り、伝えて、美味しい落ち葉野菜を作っていくこと。そんな手間をかけて作った自慢の野菜が評価してもらえると嬉しいです」

○三富新田の開拓
見渡す限りの原野に一から拓かれた三富新田は落ち葉堆肥農法に適したの農村計画で元禄7年(1694)に開拓されました。

○「武蔵野の落ち葉堆肥農法」実践農業者制度
農法の保全・発展と啓発、次世代への継承を目的とした制度で、現在町内で36軒の農家が登録。落ち葉掃きを応援する「落ち葉サポーター」の派遣や補助金による支援を行っています。

■落ち葉堆肥農法の意義
現代は化学肥料と農薬を多く投入する農業が当たり前のようになっていますが、武蔵野地域では、多くの農家が落ち葉堆肥を用いて土づくりに励み、まさに自然の営みに沿った農業が行われています。
落ち葉堆肥が用いられずに、化学肥料だけに依存すると、畑は保水性や排水性の悪い肥料分の偏った土になり、安心で安全な栄養豊かな農産物の生産が難しくなっていきます。また、平地林が農業にとって必要不可欠ではなくなり減少すると、生物多様性を失っていくというように環境の悪化にもつながります。
GIAHS認定は、落ち葉堆肥農法の重要性を世界が認めたことになり、日本や世界の農や食や環境のあり方に一石を投じることになると思っています。

武蔵野の落ち葉堆肥農法 世界農業遺産推進協議会アドバイザー
犬井正さん(獨協大学名誉教授)

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