■広報紙に、登場した皆さん
これまでの記念号に掲載された方に改めてお話を伺い、当時を振り返っていただきました。
◆200号 昭和48年7月発行
「活躍した選手として登場」
町青年陸上競技会の結果が掲載された当号。若月さんは砲丸投げで1位という成績を収めました。
○改めて記事を見てどう感じましたか?
懐かしいなあと思いましたね。たしか、このときは会場に150人近く集まった気がします。知り合いの名前やクラブ名を見て、当時のにぎやかさを思い出しました。
○現在の楽しみは何ですか?
当時は身体を動かすことが好きで、学生時代も部活動でバレーボールをやっていました。
現在は一変して、茶道や華道・日本舞踊などの伝統文化を、日々楽しみながら勉強しています。
○広報紙に期待することはありますか?
毎月読んでいて気持ちが明るくなります。これからも、町全体の出来事をたくさん掲載し続けてほしいですね。
若月 加代子さん(西船渡)
◆300号 昭和56年11月発行
「頼れるホープとして登場」
町内の企業を紹介するコーナー「企業訪問」。鈴木さんは「大東建設株式会社の勤勉な係長」として紹介されました。
○当時の業務を教えてください
作業工程や資材の管理、関係各所とのやり取りを担っていました。「何事も勉強!」という気持ちで経験を大事にしながら務めました。
○退職後は何をされていますか?
専業農家として、りんごをはじめ桃や米などを作っています。建設業と同じで自然に左右されることが多く、大変なことも多々ありますが、良いものができたときは喜びとやりがいを感じます。
○「800号」と聞いての感想をお願いします
第1号が発行された年に自分も生まれたので、親近感を感じています。時が経つのは早いですね。これからも楽しみにしています。
鈴木 芳男さん(大隅)
◆500号 平成10年7月発行
「転入者として登場」
岡崎さんが転入してから1年が経った頃に取材。当時は広報紙の感想を話してくださいました。
○朝日町に転入したきっかけは?
主人の地元が朝日町で、退職をきっかけに転入しました。当時はなかなか家が見つからず、主人の実家やAsahi自然観に泊まりながら1年以上探したのを覚えています。
○朝日町に住んでみてどうですか?
転入当初は「孤立してしまうんじゃないか」と心配でした。しかし、同じ班の方々が地域の方を紹介してくださったほか、イベントにも誘ってくださったおかげで、現在も楽しく過ごすことができています。主人が体調を崩してからは、家の前の除雪作業もしてくださり、本当に感謝しています。
○広報紙でよく読むコーナーはありますか?
毎月じっくりと全ページを読んでいますが、一番は「戸籍のまど」ですね。町内の人の動きはこのコーナーで確認しています。
岡崎 千代さん(本町)
◆600号 平成18年11月発行
「表紙に登場」
保育園児の芋煮会の様子が表紙となった当号。このとき松田さんは3歳でした。
○当時の様子は覚えていますか?
まだ3歳でしたが、意外と覚えています。たしか、みんなで里芋を掘った後にこの芋煮を作って食べましたね。芋煮をよそってくれた「ババばあちゃん」のこともはっきりと覚えているし、今も芋煮は大好きです。
○現在は何をされていますか?
大学に通いながらアルバイトをしています。将来的には飲食店で働こうかなと考えています。
○どんな広報紙を読んでみたいですか?
全ページのどこかに桃色ウサヒが隠れている広報紙を読んでみたいです。
私自身がウサヒが好きという理由もありますが、字が読めない幼い子どもたちや、通勤・通学により時間があまり取れない方々も、気軽に楽しめて癒されるのではないかと思います。
松田 周平さん(大谷第四)
■朝日町の、「はち」
6月号にて募集した町内の「はち」を、投稿者の方のコメントを添えてご紹介します。
※投稿者名は本紙をご覧ください。
○住み続けて…
「我が家は空き家バンクでマッチングしてから8年目になりました。庭のバラも満開です」
○愛猫が来てから…
「わが家の8にまつわるものは、愛猫“れん”が家に来てから8年目。本当に大きくなりました」
○通い続けた…
「8と言えば、県道山形朝日線の県道番号18。10年間、買物やツーリングで何度も通っています」
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