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ほくと歴史めぐり

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山梨県北杜市

■真衣野牧(まきののまき)に関係する集落か「中山工区内遺跡」
武川町から白州町にまたがる中山において、ほ場整備事業に伴い平成30年度から令和3年度にかけて発掘調査を実施しました。
中山の東側の山腹は起伏がありながらも台地状の地形が広がっており、ここに縄文、弥生、平安時代から近世までを含んだ8つの遺跡が登録されていたことから、遺跡群の総称を中山工区内遺跡としました。
遺跡の中心は平安時代から中世にかけての集落跡と炭窯(すみがま)群で、平安時代の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)135軒、平安~中世の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)63棟、炭窯43基などが見つかりました。
平安時代の竪穴住居は10世紀代(今から1、100年ほど前)が中心で、11世紀には減少していきます。ほとんどの住居に柱穴(はしらあな)はなく、カマドを東壁中央~南東隅に設ける造りは山梨県内で見つかる同時期の住居に共通する特徴ですが、一方で北または西の壁にカマドを設けるもの、壁際に柱穴を掘るものも見つかりました。
出土遺物として注目されるのが墨書土器(ぼくしょどき)です。土器に墨で文字や記号を書いたものですが、同じ文字を書いた土器が複数の住居から見つかりました。自分たちを示す文字を持つ集団を想定できるかもしれません。
狭い平坦地に竪穴住居3軒と掘立柱建物跡1棟が近接して出土しており、家族あるいは一族のような小さな単位で生活していたと考えられます。このような単位が集まって集落となっていますが、多くの住居が広範囲に広がる中から単位を抽出するのはとても難しい作業です。
しかし、住居の造りや出土品の共通性から、このような単位をいくつも特定できれば、集落の構成や変遷を知る大きな手掛かりになるでしょう。
牧原(まぎのはら)の地名のほか、中山の東側の山裾(やますそ)には「牧」と墨書された土器が出土した宮間田(みやまだ)遺跡があり、中山周辺は平安時代に営まれた御牧(みまき)※「真衣野牧」の推定地とされています。
牧の推定地からの近さとともに、山の中という稲作に依存していたとは考えにくい集落の立地からは、牧の経営に関わる人々の集落であったと考えられます。
どのような人が牧の経営に関わっていたのか、今後の整理作業により解明が進むことが期待されます。
※牛馬の生産を目的とした国営の牧場

問合せ:学術課
【電話】42・1375【FAX】32・6497

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